朝一番の電車で伊豆の天城へと向かいます。天城では某情報系大企業が主催する一泊二日の研修会が行われるのでそれに参加です。
毎年この時期に行われる会議では、50歳以下限定で全国からさまざまな分野の人たちが約50人ほど集まって、毎年テーマを変えて講演を聴き、意見交換をするという刺激的な二日間が楽しめるのです。
今年のテーマは世話人の議論の結果「新未来論」ということになりました。実はこの会議、昨年が「脱悲観論」だったのですが、そこでの議論成果を受けて発展的に進めようということにしたのだとか。悲観論に陥りがちな日本の論調に対して、明るい未来はどこにあるのだろうか、という趣旨です。なかなかタイムリーでしょ?
現地には昼に集合し、昼食後はまず講師からの基調講演をうかがいます。今回の講師は工業デザイナーの奥山清行さんで、タイトルは「人生を決めた15分、創造の1万分の1」とのことです。
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まずは奥山さんの講演から。奥山さんは山形県出身で、高校を卒業した後に単身アメリカにわたりそこで工業デザインを学び、アメリカの自動車会社で自動車のデザインを数多く手がけてこられました。彼が大学卒業後にGMで働き始めた頃のアメリカ社会は、日本車が急速に増えたことによる日本バッシングの時期で、怖い目に何度もあったそう。当時は日本でも個性的な車が生まれ始めていて帰国することも考えたようですが「逆に、ここに留まって、GMのためによい車を作ることが逆に日本のためになるのではないか」と覚悟して、そこでの仕事を続けたのだそうです。

その後個人のデザイナーとしてイタリアやドイツへ渡り、自動車のデザインに携わりましたが、究極の成果は2002年のフェラーリ・エンツォのデザインを採用されたことでした。世界で初めてフェラーリのデザインをした日本人ということです。
フェラーリというのは、社員わずか3千人のイタリアの中小企業で、そのうち600人をF1のために投入するという企業スタイルを貫いている企業です。決してグローバル企業なのではなくて、イタリアの中小企業だというところがすごいですね。
ちなみにフェラーリの車の売り方は、世界をリサーチした結果、一台7,500万円の車が350台売れるということが分かると、世界に向かって「一台7,500万円の車を349台作ります」とアナウンスをするのだそう。すると世界中の金持ちからわれ先に申し込みが来て、1500人くらいのリストが出来上がります。
今度はそれから申込者について調査をして間違いない人を上から349人選んで「おめでとうございます、当選しました。○月○日までに半額を納めてください」と通知を出して、半金を手に入れてしまいます。そしてそれから車の製作を始めるので、開発費もデザイン費もそこから出るのでリスクのない経営ができるのだそうですよ。
ちなみに、そうして手に入れたフェラーリならば中古市場で引き合いが強く、1億円以上の値がつくのだそうですから、商売というのは大量生産ばかりではないという典型的な例といえるでしょう。
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さて、今回の講演のタイトルは、そのデザインが採用されたときのエピソードです。
フェラーリ・エンツォ(Ferrali Enzo)はそれまで二年間もデザイン検討を重ねてきながらもまったく社長のめがねにかなったものができず、最終会議で社長が怒って「もういい」と言ってヘリコプターに乗り込んで飛んでゆくという事態になったのだそう。そのときに、会社のボスが「おいKen(奥山さんの海外での通り名)、おれがあと15分だけなだめて止めておくから、その間にプレゼンできるデザインを描け!」と言われました。
それまでの間に100の会社がそれぞれ100のプランを出しながら決まらなかった車のデザインを15分で描けというラストチャンス。そのときに奥山さんはそれまで貯めに貯めていた自分の創造性を押し込んだデザインスケッチを15分で描き、それを示したのだそう。もうヘリのローターは回っていたそうです。
それを一目見たフェラーリの社長は一言「なんだ、やりゃできるじゃないか」
それが奥山さんがフェラーリ・エンツォのデザインをゲットした瞬間でした。その後完成したフェラーリ・エンツォは「史上最もフェラーリらしいフェラーリ」と賞賛され、一躍彼の名を世に高らしめたのです。
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奥山さんはそんな話から、デザイン論について熱くお話をしてくれました。今は山形県の工芸ブランドを「山形工房」として立ち上げ中で、これもまた話題になっています。
新しい発想を提案するのはデザインするという創造性にほかなりません。
実に刺激的な話が満載でした。
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