掛川奮闘記

2005年12月04日(日) 05124_さらば愛しのデリカ

 朝食と昼食の間の食事をブランチと言いますが、今日はそのブランチに食べたパンで胸焼けしてぐったり。うーむ。

 さて今日は
■さらば愛しきデリカ の1本です。

【さらば愛しきデリカ】
 愛車の三菱デリカを買ったのは平成2年の2月のことだった。下の娘が生まれて半年後の事である。

 小さな赤ん坊と子供を乗せて長距離ドライブで海へ、山へ、キャンプへと走り回るには、後部座席が広く平らになって子供達はころんと寝かせておけばおとなしくしているワンボックスカーがその当時の若い夫婦と二人の子供にとっては最高の移動ツールだった。

 下の娘には「おまえはお母さんのお腹の中にいるときからキャンプへ行っているのだから、年齢は16歳でもキャンプ歴17年と言いなさい」と冗談めかして言うのだが、子供達が赤ん坊から青春を迎えるまでの間、我が人生のキャンプステージを飾ってくれたのはこの車だった。

 寒い冬にスキーに行って、センターハウスが混雑してどうしようもなかったときは室内に戻って、ゆったりした中でお弁当を食べることができて、嬉しかったものだ。

 三菱だから、ということもないのだろうけれど故障は多く、一番参ったのは発電機が故障してしまったのに気付かずに、バッテリーの電気だけで走っていたときで、走りながらライトもウィンカーもつかない状態になったのだった。
 今では笑い話だが、ワイパーが動くたびにラジオが聞こえなくなるという状況にさすがに電気回りの異常を感じて、エンジンを切らないようにして用事を済ませてほうほうの体で帰ってきた事を思い出す。

 また4WDというものが当時は自慢だったのだが、今のような前後輪のタイヤの回転の差を感知して自動的に四駆になるような頭の良いシステムではないので、ときどきつるつる路面のカーブで尻が左右に大きく振れるという挙動を起こす事があった。
 大きな事故に繋がらなかったのは絶対にご先祖様のお陰に違いない。

 ディーゼル・ターボというのも当時は最新の話題だったのだが、今ではこのエンジンもすっかり排気ガス規制既存不適格で、車検証にはこの車は都内などディーゼル規制のかかっている地域は走れない、といったようなことが書き込まれている。環境対策を考えるともう限界と言ったところだったろうか。

 長野市内へスキーに行ったときに、雪道でスリップして側溝に落ちた女の子4人組の車に遭遇した。いつも積んでいる牽引ロープで助け出すことが出来たのは良かった。
 私自身もまだ二十代の若かったときにスリップして雪山に突っ込んでしまって困った事があったのだが、その時は通りがかりの人が助け出してくれたのだった。人から受けた恩は、何倍かにして社会に対して返すのが良いと思って、それからは半分は自分が助かるためで、もう半分は困った人がいたら助けるために牽引ロープとバッテリーケーブルは必需品になった。

 女の子達を助け出したのは良かったが、引っかけるところが悪くて後部のガードバーが曲がってしまった。まあこれも名誉の負傷のうちだろう。

 いろいろな思い出の詰まった15年10ヶ月だったが、いよいよ今週新しい車が来るというのでいよいよそのときにつれて行かれる事になった。
 多分私が自分で運転する最後の週末となった今日の最後の仕事は、週末に旭川から帰ってきていた長女をバスターミナルまで送る事だった。
 私のこだわりでいつまでも車を替えずにいたのは家族には申し訳ないことだったな。

    *   *   *   * 

 自分も家族も成長するものなので、そのときから10年間に家族にとって重要な事は何かが大きな決め手になる。わが家の15年はキャンプと大人数でのドライブだった。それを徹底的に支えてくれたことに感謝するばかりだ。

 あと30年くらい乗ればしっぽが9本くらい生えて来るのじゃないかと思うのだけど、どうかな。 


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こままさ