掛川奮闘記

2005年09月23日(金) 050923_報徳衰退のわけ〜「よみがえる二宮金次郎」を読む

 雨のち晴れの秋の一日。そろそろ気温の低い日が出てくる季節となりました。

 大雪山でも初冠雪が観測されたとか。だんだん秋が深まって行きます。

 さて今日は、
■「よみがえる二宮金次郎」を読む の1本です。

【「よみがえる二宮金次郎」を読む】
 最近二宮尊徳に触れる機会が多かったので、つい書棚から榛村前掛川市長の編著による「よみがえる二宮金次郎(清文社)」を改めて読み返してみた。

 榛村さん一流の報徳思想の解釈もさることながら、いつも感心するのは榛村さんの場合は常に始まりからの歴史観を踏まえて今を語っていることである。

 自分自身に翻ってみても、「今どう思うか?」という問いには今この瞬間感じたことや考えていることを話せばよいので、それは比較的簡単なことである。

 しかし「どういう歴史的な流れと認識した上で、どう思うか?」と問われたときにはその歴史について一定の勉強をしてしっかりした歴史観を自分の中に押さえておかなくては今にたどり着くことは出来ないのだ。

 榛村さんを「大変なアイディア市長さん」と呼ぶことは彼のある一面を表していて決して間違いではない。しかしもっと他人の及ばないところは、その発言の一つ一つのために何冊もの本を読み、その上でしっかりした歴史観を自分の中に持ち得ていることだと思う。

 何か一つのことを新しく勉強しようと思うと、大抵の教科書はその歴史から導入して、今に至る過程を説明するところから入るものだ。

 ある分野の「歴史」にはそういう過去の積み重ねの結果という意味があるのだけれど、そのことを意識して教えたり、あるいは意識して学ぶという姿勢が少ないことは残念なことだ。

     ※    ※    ※    ※

 そんなことを思いつつ、榛村さんの歴史観によって「なぜ今日報徳が衰退したのか」ということについて、彼は三つのことがらを指摘している。

 その一つ目は「政治力の喪失」であるという。

 すなわち大日本報徳社の二代社長岡田良一郎は衆議院議員を二期四年、三代社長岡田良平は文部大臣を二度、五年務め、四代社長一木喜徳郎は内部大臣、宮内大臣を八年務めた政界の大物であり、報徳運動は、明治、大正、昭和の初期に、勤勉という新しい名の徳目で、新しい経済思想をリードしつつ、政治に結びついたのだが、そのことで第二次大戦への協力者ととらえられてしまった。

 そのことが敗戦後、一連の価値観や道徳観の喪失によって、報徳思想そのものが深く傷ついた大きな理由であるという。

 その二つ目の理由は財政力の衰弱だという。敗戦で満鉄の株などが紙切れとなり、戦後のインフレで各地の報徳社も本社も、その貯めた金融資産の価値を落とし、さらに昭和五十年以降は頼りだった報徳社の社有林も林業不振で価値が下がってしまったことである。

 そして第三の理由は、価値観の変質だという。昭和三十年代半ばからは高度成長経済のかけ声の下で、「報徳の教えなどもう古い」ということになり、オイルショックの時にわずかに見直される機運も見えたものの、再びバブル経済の時に忘却の彼方に追いやられてしまったかのようである。

 以上が榛村さんが指摘する報徳思想の衰退の三大理由である。

 しかし敢えて私がそれに何かを加えるとしたら、「農と都会の乖離」とさらには「農業そのものの変質」があげられそうである。

 「農と都会の乖離」は、都会生活あるいは都会生活者という存在が農業者・農村居住者というものと全く異なる生活様式をもたらし、しかもそれが今日の国民の七割が都市に住んでいる社会においては、その互いの性格を引き離しつつあるという現実があるのだと思う。

 報徳思想の根元的立場はやはり「農業こそが大本」というものであるので、農業や農を知らない都会人にとって身近なたとえ話が通じない時代へと変化してきたと言えるのではないか、という問題意識である。

 二つ目の「農業そのものの変質」という点では、小作人という専業農家に対する生活の知恵、生活の徳目を説いた報徳思想が、兼業農家が増えてしまった農業者の構造変化や、機械化や高度化などの農作業、さらには協同組合の組織化によって農業者の生活の安定機構が揃い、報徳の精神性によらなくても、日常生活が営みやすくなったということもあるのではなかろうか。

 そう言う意味では、今日報徳思想は農民・農村に対して尊徳の行った「仕法(救済方法)」を今日の都会生活や、現代社会に対して適合する新たな『実践的手法』として再構築しなくてはならないのだろう。

 ところが、現代社会は本来なれば立ちゆかないはずの収支の不均衡を「借金」という形で将来につけ回しし、さらには一般の国民までがローンやクレジットというカタカナ語をあたかも美徳であるかの如くに勘違いしてしまっているのである。

 借金が出来なかったり、恥ずかしいという価値観があればこその報徳思想であるが、その根元であるタガを緩めて緩めてもう戻らなくなってしまった今日、それが当たり前の民衆にとっては報徳の真実や叫びも単なる「説教集団」でしかないのかもしれない。

 人心の荒廃を耕して目を開かせる力が、政治家にも親にも社会にもないというのは本当に恐ろしいことだ。

    ※    ※    ※    ※

 先に紹介した「現代語抄訳 二宮翁夜話」には「積善の家には余慶あり」という項が紹介されている。

 尊徳先生曰く「方位によって禍福を論じ、月日によって吉凶を説くということがあるが、全くばかげた迷信である。禍福吉凶は自分の心と行いが招くところにやってくるのであり、また過去の因縁によってやってくるのである」

「強盗は鬼門から入ってくるのではないし、悪日にだけ来るものでもない。戸締まりを忘れたから来るのである。火の用心を怠るから火事になるし、家の戸を開けておいたら犬が来て食べ物をあさるだろう。これは明白だ」
「古語(易経)に、『積善の家に余慶あり。積不善の家に余殃(よおう)あり』と言って、前項を積み重ねた家には必ず子々孫々に幸福が及ぶものであり、不善を積めばその家は後世まで災禍を受けるものである、と教えている。それは米をまくから米が実り、麦をまくから麦が実るのと同じ事だ」

「しかし余慶も余殃もすぐにやってくるものでもない。百日で実る蕎麦があれば、秋にまいて翌年の夏に実る麦もある。『桃栗三年柿八年』と言うように、因果や応報にも遅い早いがあるということを忘れてはならない」

 現代社会に済む我々が後世のために推譲(ゆずること)をせずに、後世からむさぼっているとしたら実に恐ろしいことだと言わねばなるまい。

 報徳の思想を今日的実践に通じせしめる実践項目とは何か?それが問題なのだ。

 うーむ、今日は思わず力がはいってしまったぞ。
 


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