掛川奮闘記

2005年09月22日(木) 050922_二宮翁夜話を読む

 テレビの二宮尊徳の紹介に誘われるようにして買った「二宮翁夜話」の本に読みふけっています。
 感じるところが多いね。

 さて今日は、
■「二宮翁夜話」
■ちょっとした危機管理 の2本です。

【「二宮翁夜話」】
 二宮尊徳の報徳の教えの根幹は、「至誠」「勤労」「分度」「推譲」という四つの徳目に表されている。

 至誠とは誠意を尽くして生きると言うこと、勤労とは真面目に働くという実践の進め、分度とは分をわきまえて生きることであり、収入を計りその範囲内で生活をせよ、という教えである。

 その上で報徳では「推譲」という、「譲れ」ということを非常に大事な徳目として考えこれを推し進めている。

 この本の中に「譲道あるからこそ」という一節があって、そこでは「禽獣は欲しいものを見たら、すぐにそれを取って食う。取れるだけの物を遠慮なく取って、譲るということを知らない。草木もまた、根が張れるだけ土の中をどこまでも張っていく。これが禽獣・草木の生き方だが、人がこのような生き方をすればそれは盗賊である」とある。

「人は、禽獣・草木と違って米が欲しければ田んぼを作り、豆腐が欲しければお金を出して買う。人道は天道とは違い、譲道によって成り立つものなのだ」

「『譲』とは、今年の物を来年に譲り、親は子のために譲るということから成り立つ道である。天道には、譲道はない。人道というのは、人の便宜を図って立てられたものだから、譲心を忘れると奪心が生じてしまう」

「禽獣に譲心が宿ることはなく、これが人と禽獣の違いである。田畑は一年間耕さなければ荒地になる。荒地は百年経っても自然に田畑になることはないのと同じ事である」

「あらゆることを自然に任せれば、全て荒廃する。これを荒廃しないように勤めることを人道とするのである。人が着る着物も、家の柱や板、その他白米、麦、味噌・醤油の類が自然に田畑や山林で出来るものではない。だから、人道は勤めてつくることを尊び、自然に任せて荒廃していくことを憎むのである」

「熊や猪などの力が強力であることは言うまでもないが、彼らが一生その力を使っても安堵(あんど)の地が得られないのは、譲ることを知らず生涯自分のためにだけ尽くすからその努力は報われないのである」

「だから人であっても譲道を知らず、勤労しなければ禽獣同様に安堵の地は得られないのである。したがって人たる者は知恵はなく力は弱くても、今年の物を来年に譲り、子孫に譲り、他に譲る道を知って、それを良く実行すればその努力は必ず報われるのだ」

「その上にまた人には、恩に報いるという心がけがある。これまた知らなければならないし勤めなければならない道である」

     *   *   *   * 

 二宮尊徳は、自然任せに放っておくとものごとは天の理の通りになるけれど、それは人の道とは違うということを明確に言ってのける。

 自然保護や教育においてもどこか通じるものがあるのではなかろうか。


【ちょっとした危機管理】
 知人のところで、「こういうことをしたい」「それは組織規定上できない」「こんな大事なことがなぜ出来ないのか」「それなら組織を使わず自分でやればよい」といったような見解の相違からちょっとしたトラブルになっているとのこと。

 メールのやりとりでもそうだが、文書を媒介としてやりとりをすると細かな思いや本当のところやどうでもよいところなどが通じず、お互いに誤解を生じやすいものだ。

 そんな誤解などから思いが通じず物事が進まないというトラブルも、言ってみればちょっとした危機で、危機が生じたときには危機管理の仕方もあろうかと思う。

 人や文書を介さないで直接会えば良いものを、やりとりを繰り返して時間をかけることで状況を悪化させてしまうことも多いものだ。

 トラブったときはすぐに素直に周囲や上司に相談するのが良かろう。我が身に振り返ると、そういう情報が入りやすくすると言うのも現代社会を生きて行く上での処世術でもあるだろう。

 時間でも思いやりの言葉でも、少し譲るだけで、もう少しだけ世の中はうまくいきそうだけれど。 


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こままさ