| 2005年08月02日(火) |
050802_スローサイクリングの本が届く |
今年は冷夏かと思いきや、どうやらそうではないらしい。でも夏が寒く感じるというのは、私が掛川の生活に慣れたせい?
さて今日は、 ■スローサイクリング の1本です。
【スローサイクリング】 「あなたは何屋さんですか?」と訊かれて、答えづらい知人というのが何人かいる。
もっとも自分だってそう訊かれたらまともには答えられまい。「公務員です」などというのは今や身分のようなもので、「それでは何をお売りなさって碌をはんでおられるので?」と訊かれたら、「時間です」としか言いようが無くてどうも説明がしづらいわけだ。
そんな知人の一人が白鳥和也さんで、彼は現在自転車文学研究室主宰という立場であり、一応著述業を名乗ってはいるが、彼を見るときはいつも自転車に乗っている姿である。
その彼から「2冊目の本ができました」という喜びの言葉と共に送られてきたのが彼のシリーズ2冊目となる「スローサイクリング」(平凡社新書284 880円)である。
彼とは私が掛川在住の時に幾度と無く自転車イベントでご一緒をした中であり、そればかりか掛川での自転車マップ作成やイベントのリーダー、今や大きな思い出となった塩の道ツーリングではルート選定から全行程をガイド役として走破してくださるなど、掛川での自転車イベントにとってもはや欠かせない存在となった感がある。
自転車に乗りながらしっかりした写真技術も持ち合わせ、さらにそれらをツールとして文学で大いに語るという領域はこれまであまり先達のいない分野のようで、自転車文学者という未知の分野を一人で開拓している感がある好青年である。
文学に重きを置いている立場から、文章としては私から見ると難しい事を難しく書いているようにも見えるのだが、それはそれで彼の文体という味わいの一つかも知れず、まあ独特の表現が多く見受けられる。
そもそも、自転車自身がスローな乗り物に違いないのだが、そこを敢えてスローサイクリングという単語を初めて使ったのは、掛川のイベントでは無かろうか、ということで、掛川の体験は彼の文学を形作る上で幾ばくかの影響を与えている事は事実のようだ。
実際後書きで、私や同じくスローサイクリングを広めようと努力している掛川在住の佐藤雄一さんに一片の謝辞を述べてくださり、こちらとしてはかえって恐縮するばかりである。
彼はすでに同じ平凡社新書で「素晴らしき自転車の旅」(平凡社新書228 924円)を著しており、今回はそれゆえシリーズ2作目というわけである。
前回の本はこの分野の本としては随分売れたようで、出版社の方もそのことに期待も大きく、2冊目の話が持ちかけられたようだ。
* * * *
『誰にでもできること。誰にでも体験できること。しかしまた、それゆえにその隠された意味を見出すのが困難な事。そういうことは無限と言って差し支えがないほど私たちの周りに存在している。何も私は哲学するために自転車に乗っているわけではないのだけれど、自転車はいろんなところに私たちを連れて行ってくれる』
『すでに失われたと思っていた少年時代、少女時代への扉をもう一度開いてくれる事もあれば、風の中に見た事のない異国の蜃気楼を描いてみせる事もある。あるいはまた、今日生存の危機に瀕した人類に、次の千年へ続きうる細い道を示す事もありうるかもしれない』
『なんであれ、自転車は人間の乗り物だ。その人の全霊と魂と身体の乗り物だ。ときどき私は思うことがある。自転車は過去と未来を垣間見せてくれるという意味で人力のタイムマシンになりうる事もあるし、世界の広さと地上の多様さを教えてくれるという意味で、ひとつのメディアにもなりうる…』(「あとがきにかえて」より)
本当は本編の中には掛川での体験も盛り込む予定だったのだが、紙面の都合でカットされてしまったということを、白鳥さんは非常に恐縮しながら伝えてくれた。
こちらとしては、シリーズ三作目を気長に待つしかあるまい。
小さな旅を自転車でしたくなる、そんな本に巡り会った。
白鳥さんのますますの活躍を祈るばかりである。
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