| 2005年04月26日(火) |
050426_百歳までの動機付けだ! |
掛川市長選挙が終わって一夜が過ぎました。
掛川の知人から、いろいろと電話やメールで情報を入れていただきました。明日の掛川は皆さんの手によって作られるのですよ。がんばってくださいね。
さて今日は、 ■北海道土木遺産のパンフレット ■榛村さんの遺言 の2本です。
【北海道土木遺産のパンフレット】 前職からの引き継いだ業務の一つが、北海道土木遺産のパンフレット作成である。
これは、我々が今ある生活を支えてきた社会基盤である土木施設が果たしてきた役割を、見つめて再評価しようという取り組みである。
主催は土木学会だが北海道内の施設については社団法人土木学会北海道支部がその旗振り役を務めている。
土木遺産として認めるために、土木学会の選奨制度というものが平成12年に作られた。
そのうえで、私たちの暮らしを支えてきた歴史的な土木施設を我々の宝物として見つめ直し、後世に伝えてゆこうというのである。
昨年の16年度までに8つの施設が認定されている。最初の12年度には小樽港の北防波堤が認定された。これは、かつて北海道商業の中心であった小樽を陰で支えた小樽築港を100年以上にわたって守り続けた防波堤なのである。
続いて13年には函館水道施設群が選ばれた。これはバットレス式ダムと呼ばれる、少ないコンクリートでできたダムで、コンクリートを節約しなければならない要求に応える機能美・構造美が先人の苦労を忍ばせる。
本当の美しい土木景観というのは様々な制約を構造の工夫で乗り越えたときの機能美なのである。
そしてその機能美の最たるものが、我がふるさと旭川の旭橋である。
あの美しい曲線は、バランスド・タイド・アーチと呼ばれるもので、昭和7年に完成した当時からすでに戦車を走らせるのに耐える構造が要求され、それに応えているのである。
まさに旭川を象徴する機能美を発揮していると言えよう。
* * * *
そんな風にして、生振捷水路(おやふるしょうすいろ)、稚内港北防波堤ドーム、旧国鉄狩勝峠・鉄道施設群、函館港改良施設群、十勝川千代田堰堤の8つが選ばれているのである。
今日は「そのパンフレットがほぼ完成しましたので確認を」ということで、担当してくださっている土木学会北海道支部の方が来て、一緒にチェックを行ったのである。
すると…、うーん、まず地名が読めないということに気がついた。専門家の皆さんならば当然知っているであろう地名でも、パンフレットにした時点で一般の人たちに対して訴えかけようとしているのだから、読めない地名は許されないだろう。
そんな目で文章もよくよく読んでみると、なるほど、これはいただけない。
役人の書いた文章をおそらくそのままに引用したのだろう、一般の人たちには分かりづらい表現に充ち満ちている。
たとえばこんな具合。「21世紀に引き渡された課題は、上流から河口まで一つの実序ととらえ、流域の全ての人々が協力しあって、川を守り、慈しむことであり、河床の変化や形状を考えた河川計画などの治水思想は、現在の河川改修にも受け継がれ、なお現代の石狩川に行き続けています。」
これだけの文章が句点でつながれつながれして、長々とした文章になっているのである。
まさに役人文書の典型と言えるだろう。
私も「掛川奮闘記」を書いたことで勉強になったことが多いが、その中の一つは、一つの文章を短く書くという癖をつけることだった。
句点「、」は一つ打ったらその文章はもう読点「。」で結ぶように心がけながら書いたものだ。
もっとも、それだけ意識していてもなお鬼雅に「小松さん、文章がいたずらに長い!」と叱られたものだ。
だからつい、そう言う目で見てしまうのだが、普段そう言う文章チェックを受けないでいると、ついつい長たらしい文章を書いて平気になっているのである。
もう一つ気づいたのは、8つ選ばれたそれぞれの施設を紹介する文章の文体がいかにもバラバラだということだ。
全てを一人の人が書いたのであれば、文体が統一されるはずだが、明らかに寄せ集めた文章というのが分かってしまうのだ。
私からのアドバイスは「こういう文章は、一人の書き手が、それも『この施設を後世に紹介したいんだ!』という情熱を持って取り組める人が書くことが重要ですよ」というものだった。
真に「伝えたい」という意志と、しっかりした文章を書く能力が備わっていなくては良い仕事はできないものである。
ね?私が本に書いてあるとおりなんですけどね。
連休明けに修正されたものを見せてもらうことにしました。要求レベルを簡単に下げない、というのも大事なことです。
さ、がんばりましょう。
【榛村さんの遺言】 掛川からはしょぼくれたような連絡ばかりが入ってきて情けない。
ある人などは「町がこんなに意気消沈している姿を私は初めて見ます」と教えてくれた。
いろいろな意味でショックはあるのだろうけれど、とにかくそこから始めることで良い町にするしかないのである。
一つだけ心配なのは、掛川が全国ブランドとして誇れる「生涯学習」というキーワードや、それを支えてきた「生涯学習都市宣言」はどうなるのだろうか、ということである。
個人的には旧掛川市の生涯学習都市宣言をそのまま新市においても採択して継続するというのが良いのではないかなあ、と思うのだが、それもまあ新市長の行政運営方針にとって役立つのかどうか、という判断になるのだろう。
掛川市民の方にも、「いまさらもう生涯学習でもなかろう」と思っている人も多いかも知れないが、別に誰かに気兼ねするわけでもなく、ただ日本中のブランドをわざわざ捨て去ることはないと思うだけである。
ブランドは一朝一夕にはできないが、失うのは一瞬でできるのだ。
地方自治体が競争に勝ち抜いてゆくときのアイデンティティ・ブランドは大事にした方がよいと思うのだが。
多くの市民が生涯学習の本質を忘れているのではないか、という気持ちで書いた今回の本でもあったが、実は書き上げた後で榛村前市長に、「市長の言う『生涯学習実現都市』とは何だとお思いですか?」と問うたことがあった。
榛村さんは私からの問いに素早く、「ゼロ歳から100歳までの動機付けですよ」と答えてくれた。
現代語で言えばモチベーションということになるだろうか。
人が何かをするときに、恐怖や罰で「させる」というのはやはり愚作なのであって、自らが喜んで行ってくれれば地域は本当に良くなると思う。
進んで何かを行う、まさに心に火をつけるということと同じなのかも知れない。
榛村さんはそれを「ゼロ歳から…」と表現したのである。
もうすぐ本ができるような時期だったので、もうそのエピソードは本には盛り込めなかったが、私自身にはぴんとくる話であった。
今となってはあれも「榛村さんの、市長としての遺言だったのだろうか」と思ったりもするのである。
私の思い描く生涯学習と、本家本元の榛村さんの思い描く生涯学習。
人それぞれが「生涯学習」というキーワードから思うことに邁進してくれればそれがその人にとっての生涯学習なのだろう。
さあ、だれか榛村さんの遺言を受け止めて、新しい町作りに活かしてみてはいかがだろうか?
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