| 2005年04月25日(月) |
050425_自分の幸せ、他人の幸せ |
掛川市長選挙が終わって一夜が過ぎました。
掛川の知人から、いろいろと電話やメールで情報を入れていただきました。明日の掛川は皆さんの手によって作られるのですよ。がんばってくださいね。
さて今日は、 ■一地方都市の市長選挙 ■農業景観シンポジウム の2本です。
【一地方都市の市長選挙】 とある日本の片隅の町で合併後最初の首長選挙が行われて、合併前の首長と多選批判で立候補した対抗馬が一騎打ちとなり、前首長が落選したという話。
日本中どこにでもある話なのだろうけれど、その中に巻き込まれた人たちのいろいろな人間模様を見ていると、さぞ悲喜こもごもの人生模様が見えてくることだろう。
振り返ってみれば、「破れた側の選対事務所は活気がなかった」だとか、「○○さんが動いたので反発票が流れた」、「演説が難しすぎた」、「向こうは芸能人を連れてきたりして、何でもありだ」などといった声が聞こえ出す。
しかし結果は結果なのだ。そういうルールの中で竜虎が相まみえて戦って、市民の選択によって一方が勝って一方が破れたのだ。
大衆選挙の見たくない現実は、見なくてもやはり現実なのである。大衆の支持をどちらがより獲得できたか、という明解な競争だったのだ。
一地方都市のそれだけの現実である。
* * * *
それにしても、やはり自分自身がなにか言いようのない虚脱感に襲われるというのは、恐れていた結末を知ることになったことと、自分自身の今の、力の及ばなさを感じているからに他ならないのだろう。
気がつけば下を向いている自分を奮い立たせて、深呼吸をして前に向かって歩こうではないか。
自分の進む道だけは信じて、一歩一歩前進するのみだ。
町は自分たちが作れるのだ。そのことを信じよう。
今日本中でそんなことが起きているのに違いない。合併とはそういうことなのだ。
【農業景観シンポジウム】 農業と景観を語るシンポジウムを聴講する機会を得た。
基調講演はパリ・ソルボンヌ大学の総長である、ジャン=ロベール・ピット氏。
フランスの農業景観を守る上で、いかに税金ではなく農産物を買う消費者がその景観を支えているか、ということについてお話をしてくださった。
中でも、ある有名なワインを作る村では、良いワインは良い町から、良い町は良い景観からということで、村民たちがだれ言うともなくきれいな建物や町並みを整備し始めて、今では非常に美しい村で一級のワインが造られるというすばらしい組み合わせが誕生したのだという。
フランスにも急斜面があって、そこでワイン用のブドウが栽培されているのだが、こういう急峻な農地を支えているのは産物を売る農民なのであって、こんなに急な斜面を管理して美しく保っているのは、「まるで静岡の茶畑のようでしょう?」と日本の農村風景へのリップサービス。
ピット総長の写真には、ワインを開けようとする赤い顔をした農民を移した一枚があって、「どうです?いかにも幸せな農夫でしょう?その幸せな農夫に開けられようとしているいかにも幸せなワインをご覧ください」と述べられた。
幸せは幸せからバトンタッチして訪れるもののようだ。
続いて、幸せそうな顔をしたガチョウの群のスライド写真が登場し、すぐ次の一枚はそれらが肉になっている写真であった(^-^;)。
「でもおいしいんですよこの肉が。彼らを殺すときも、優しくなでてあげてストレスを解消しながらだと、肉の味が格段においしいんですよ」とのこと。
殺すときに幸せにしてから殺すとは思わなかった。
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アイヌ人には熊を殺す熊送りのイヨマンテという伝統的風習があるけれど、あれとて、小熊を殺す直前にはおいしいものをふんだんに食べさせて、幸せにしてから殺すのである。
そうすると殺された熊は熊の神の世界に戻っていって、「下界はどうだった?」と訊かれたときに「美味しいものをたくさん食べられて良かったよ」と答えてくれるに違いない。
そうすればそれを聞いた熊の神様がこぞって「それじゃあわしらも行ってみようかなあ」と思って、下界に降りてくれるのだろう、と考えているのだという。
どこかに通じる話が込められていると感じられないだろうか。
結局幸せは幸せから生まれることの方が多い、という教訓なのかも知れない。
人を幸せにするのに自分が不幸になる必要もないだろう。
自分の幸せを他人の幸せにできて、他人の幸せを我が幸せと思えられれば、こんな幸せなことはないのじゃないかな。うーん、ちょっと紛らわしかったかな(^-^;)
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