掛川奮闘記

2005年04月03日(日) 050403_奮闘記外伝〜涙の完結編

 いよいよ掛川最後の日になりました。ありがとう、本当にお世話になりました

 さて、今日は
■神社へご挨拶
■駅でのお見送り の2本です。

【神社へご挨拶】
 最後の宿泊場所となったグランドホテルを後にして、まずは龍尾神社へと向かう。

 宮司の司郎さんがおられて、奥様とともに最後のご挨拶が出来た。

 お互いに「もっと早く会えていたらよかったのにね」と別れを惜しみあった。

 この建物の中では、あろうことか私なりの神様感などを祭り青年に向かって話をしたりもしたが、思えば大それたこともしたものだ。
 
 梅の季節に蕎麦を振舞ったら面白かろうと思ったし、宮司からも「一度地区の氏子の皆さんに蕎麦打ち指導をして欲しい」という依頼も受けたのだが、果せずに終わった。

 いずれにしても、良い出会いでありました。札幌のお友達の神職もご紹介いただいたので、いずれご挨拶をしてきます。

 お世話になりました。

    ※    ※    ※    ※

 そして最後の最後はやはり事任八幡神社である。

 私の掛川生活はここから始まったのだから、こちらへ最後のご挨拶をして、これが区切りでもあるのだ。

 神社ではちょうど日坂籠駅伝のお祓いが終わったところで、誉田宮司さんご一家が出迎えてくれた。

 禰宜の潤さんにお願いをして、家内安全の祈願を立てて最後の御祓いをしていただいた。

 口にすると願いがかなう、と言われるこのお宮だが、この上お願いが出来ようもなく、ただただ感謝とお礼の限りでありました。

 その後で築200年とも言われるご本宅でお茶をご馳走になって、四方山話に花が咲く。

 よくもまあ、拝殿をお借りして古事記を語るなどと言う、ここでも大それたことが出来たものだ。

 振り返ると顔が赤らむようなことばかりしてきたが、潤さんからは「神様も賑やかなのがお好きでしょうからね」という言葉に救われた。

 これからのご隆盛を心から願いつつお別れする。

 ありがとうございました。お世話になりました。


【駅でのお見送り】
 サトさんのところに愛車のベクトラを置かせてもらう。鍵を預けてこの車ともお別れである。

 もらってくれたAちゃんは、札幌ナンバーを書き換えて浜松ナンバーにするだろう。

 外車は維持費がかかるだろうけれど、大事に乗ってください。

 そうそう、ガソリンはハイオクですよ。レギュラーだと力が出ませんよ。

    ※    ※    ※    ※

 駅ではもう何人もが待ち構えていて下さった。11時半頃には20人以上にもなり、なかなか壮観だ。

 改札口でいいと言うのに、皆入場券を買って、ホームで見送るのだと言う。

 仕舞にはK造さんが、「龍尾神社から持ってきた」と言って、日の丸の小旗を見送りの衆に配布し始めた。

 和子さんが千人針をくれて、日の丸の小旗で送られる。これじゃまるで戦時中じゃねえか!

 せいぜい戦地では敵の弾に当たらないように祈っていてくださいな。


 11時39分の新幹線が到着して、後続の二本が通過するまでが最後のお別れである。

 日の丸を振る集団がホームにたむろしているので、遠くにいる待合のお客さんたちまでが「何事か?」とこちらを見ているのが分かる。

 木曽教育長さん、中山さん夫妻、蕎麦研のメンバー、市役所職員の皆さん、スローライフのメンバーたちが笑いながら、見送ってくれる。

 サトさんが「吉ちゃんのおかげで、涙のお別れ会にならずに済みました」と言うが、


 車両に乗り込んでドアが閉まる。八重ちゃんが万歳を三唱してくれる。

 走り出したドアの窓から吉ちゃんが日の丸を片手に二本もって突き上げる。

 蕎麦研のみんながホームを走るが、無理だよ、新幹線は早い。


 ありがとうみんな。ありがとう掛川。


 そして涙が頬をつたい落ちるのを僕は止めることが出来なかった。(完)


  


(追記)

 これが僕の青春の1ページです。

 涙と笑いとエピソードの日々がある限り、あなたの心は青春です。

 青春を過ごせない人生のなんとつまらないことでしょう。

 さあ、涙は拭いて新しい明日へと足を踏み出しましょう。

 掛川奮闘記を長らくご愛読いただいてありがとうございました。

 どうぞご感想は私のホームページの掲示板へ匿名で結構ですのでお書きください。


 皆さんとはいつかまた、別な奮闘記でお会いいたしましょう。

 ワタシャきっと、どこへ行っても奮闘しているに違いありませんから。

 そうして、ふっと風が吹いたら私のことを思い出してください。

 さようなら。



  


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