| 2005年04月01日(金) |
050401_掛川奮闘記外伝0401 |
今日からは掛川奮闘記外伝が始まります。またご愛読をよろしくお願いします。<おい!
さて、今日は ■ひたすら引越し荷物 ■要求レベルの問題 ■竹の丸での最後の講演会 の3本です。
【ひたすら引越し荷物】 朝からひたすら荷造りに励む。
私が相変わらず夜遅くまで飲んだくれているので、わが奥さんもいささかオカンムリである。
うちの奥さんは、公務員の妻らしく引越しの手際が良く、何も出来ない私とは雲泥の差がある。
箱のスペースをぎりぎりまで使って効率的に詰め込む作業は、万事が大雑把な私には到底出来る技ではない。
荷物の運搬はクロネコヤマトの単身パックを頼んだ。
荷物を取りに来るのは午後と言うことだったが、時間の指定はできないと言う。
「はあ、そうですか」と電話を切った私に妻は、「そういう風に言うと、後回しにされるよ。『夕方に用事があるから、早く着て欲しい』って言って御覧なさい」と叱咤激励。
改めてその旨を告げると、「ではできるだけ三時過ぎに伺います」とのこと。
「ほうらね、言ってみるもんでしょ?」
うーん、かなわんなあ…(^-^;)
荷造りは昼過ぎにある程度ゴールが見える状態で、そこからは部屋の掃除。
新堀さんからは「とにかく出てくだされば、後は私たちで何とかしますから」と言われてはいたものの、そうできないのが転勤族のDNAでもある。
せいぜいきれいにしていかなくては。
【要求レベルの問題】 荷物の運搬は、クロネコヤマトの単身パックをお願いした。
これは、1.1m×1.1m×1.7m=2立方メートルという大きさのコンテナに詰める限り詰めて、北海道ならば3万9千円という料金のシステムである。
確か掛川へ来たときもこの単身パックだったはずだが、そのときはコンテナ一個であとは車に積んできたはずだ。
今回は車をミスター八丁坂のA光君にあげちゃうので、車でつんで帰るわけには行かない。
そこで単身パックのコンテナを二個持ってきてもらって、これにどうしても詰めなければ、一個口で運んでもらおうと言う算段である。
午後3時過ぎに業者さんが着てくれて、まずは家の中からダンボールなどの荷物を外に出して、それからコンテナに積み始める。
さすがに掛川での三年間に資料などの荷物も増えて、コンテナ二個でも難しいのかな、と弱気になる。
形の決まったダンボール類は最初のコンテナにびっちりに詰めることが出来て、残りを二つ目のコンテナに詰める。
こちらは蕎麦道具やらギター、カメラの三脚、布団などの変形モノが多く、業者さんも最後に詰めるのに悪戦苦闘。
「うーん、入らないなあ…」とつぶやくのを聞いて、(あ、その辺でいいですよ、あとは別途に一個口で送りますから…)と言いたくなるのだが、それをぐっとこらえて作業状況を見守る。
最後に苦労していたのが洗濯籠の類だったのだが、ここでこちらがわの要求レベルを下げてしまうと業者さんのほうも必死さがなくなってしまって、「では三つ余りました」などと簡単にあきらめてしまうに違いない。
現に、こちら側が黙って様子を見ていると、「入らないなあ」と言いながら、最後は布団を別口で運ぶことにした。
「布団袋二つを縛っちゃえば一個口でいいですからね」とはありがたい。
部下や同僚でも、最初から「出来なければ適等でよいよ」などというサインを送ってしまえば、本来がんばる力のあるものでもがんばらなくなってしまう筈である。
だからこちらも心を鬼にして成り行きを見守らなくてはならない。
要求レベルを簡単には下げない、というのはそういうこと。やさしいばかりが上司ではない。
本来出来るはずのことを見守ってやり、最後の最後にどうしてもできなかったときはその責任も覚悟するのが上に立つものの考え方であるはずだ。
…そんなわけで、単身パック二個と布団を一つ、と言う形で荷物は札幌に旅立ちました。
もうこのアパートで生活することもないのです。うーん…(T-T)
【竹の丸での最後の講演会】 何とか荷物を送り出したのも束の間、「夜6時から竹の丸で最後の講演会をやれ!」というスローライフメンバーからの要請にこたえる形で、竹の丸へと向かう。
「北海道に戻る前に、掛川にモノ申します」というタイトルだけは決まっていたが、何を話すかどうかは引越しで頭がいっぱいで、考えることも出来ない。
会場には、これまで見知った方々の姿が多く見受けられたし、なんと商工会の重鎮、杉本周三さんまでお見えになっていただいた。 いよいよ最後の講演会なのだが、まずは合併から恐る恐る話し始めた。
30分ほども話したところで、会場奥からサインが出て「話がカタイ!!小松!」というおどろくべき内容。
考えてみればこれが出る直前は病院の話をしていたのだが、少し難しかったかな。
サインが出て一瞬話がよどんだが、すぐに立て直して事なきを得た。
会場を埋めた55人の皆さんは満足してくれただろうか?
来場者の中には大東町商工会の若手の姿もあった。
話も最後に何とかまとまりをつけて、1時間半の講話は終わりました。
皆さん、ホントにありがとうございました。
※ ※ ※ ※
講話の後は反省会と称して、やっぱり飲みに言っちゃうのだが、きょうその反省会会場はなんと言っても「酒楽」である。
主人の笠原おやじさんもなにかをこらえているようだ。
「おぅ、嫁さんはどうした?」と訊かれて、「すみません、荷造りで」と答えるのが切ない。
店内には竹の丸で使った紙のタイトルを張り、傍若無人。
でもこれが最後である。おじさん、おばさん、お世話になりました。
※ ※ ※ ※
飲みに行くのもそろそろ機会が限られてきた。
私自身も毎日夜遅くまで飲んで、いくら名残を惜しんでも、名残が尽きるわけでもなく、ただだらだらとしている。
夜も更けてから、グランドホテルへ行って泊まる前にミレレまでうちの奥さんを連れ出して、そこでまただらだらと飲んでいる。
※ ※ ※ ※
「お葬式が一度でよい理由が良く分かったような気がする」
そう、別れの儀式は本当は一瞬で良くて、あとはまた普段どおりの平穏な日々が訪れてくれればよいのだ。
明日は午前中が部屋の掃除で、午後は横須賀のお祭りへ行って、夕方からはお別れの宴を開催することになっている。
あ〜、なんだか明日が来なけりゃいいのに。
寂しいなあ。
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