掛川奮闘記

2005年03月11日(金) 050311_祭とまちづくり〜ミス日本、明ヶ島

 本の最終校正と昨日書きましたが、工場は平日しか動いていないので週明けからの印刷となります。

 完成するのは25日ぎりぎりだそうです。25日の夜には、国交省からの助役(私のこと)の追い出しパーティがあるので、そこには何とか間に合わせたいものです。
 
 さて今日は、
■まちなかの理論
■ミス日本グランプリ久米里紗さんの市役所表敬訪問
■明ヶ島のキャンプ の3本です。

【まちなかの理論】
 まちなかの知人が訪れてきて、まちなかの商店街の話題となる。

 「まちなかには危機感がないように思うのですが、なぜですかね?」と私が訊くと、

 「やはりそれなりに財産があるからじゃないでしょうか」という返事が返ってくる。
 
 「危機感がなくて、まちなかのお店の所有者はこれからどうしようと思っているのでしょうか?」と訊くと、

 「昔から、息子達を都会に出して『勉強しろ』、と言ってきて、その通りになってしまいました。今さら息子がこの地域に戻ってきて、商売をするとも思えませんよね」とうい答えが返ってくる。

 「でも、おジイとおバアが自分たちだけのことならなんとかやっていく、ぎりぎりなんだと思います。多分今年のうちに、もう3軒ほど空き店舗になるような話も聞いています」

 うーむ、まちなかの人たちも悩みは深い。悩みは深いのだが、解決策はないものか。

 「空き店舗について話し合うような機会もありますよね。ああいう場で『空き店舗をなんとかしよう』という意識で気持ちが一つになるようなことはないんでしょうかね?」
 「助役ね、まちなかには祭があるんですよ」

 「祭で地域の気持ちは一つになるのじゃないですか?」
 「それがそうは行かない。祭で気持ちが一つになるのは、同じ法被をまとって同じ屋台を引くからですよ」

 「では、道路をはさんだ隣町でもだめですか?」
 「駄目ですねえ。もうそれはよその人ですね。だからね、協議会の中でも、外の町のための意見は言いづらいんだと思いますよ」

 続けて、「自分だって、外の町内の人から、『お前の町内はこうやったら良くなるのに』って言われたら、面白くないのじゃないでしょうか? だから、それを思うと、外の地域のことに口出ししたいと思わないんですよ」

 「そうなんですか。難しいものですねえ…」

 まちなかの祭が、身内の気持ちを一つにする反面、外との間に微妙な壁を作っているということがあるのかも知れない。

 そんななかでまちなかをどうするのか、どうできるのかは、やはりまちなかの人達自らが立ち上がらないと駄目なんだろうな。

 三年経って、やっとここまで来たという思いと同時に、力が足りなかったなあ、という思いでも一杯だ。

 この経験は、必ずやどこかで仇を取ることにしますよ。

 全ては人間の関係資本からスタートするのである。


【ミス日本グランプリ久米里紗さんの市役所表敬訪問】
 今年のミス日本グランプリとなった久米里紗さん(20)が、掛川市役所を表敬訪問してくれた。

 彼女は現在掛川市在住で、浜松の大学に在学中の身である。

 おまけになんとお母さんは掛川市役所で働いているのであって、なんと身近なところから日本一の美人が誕生したことか。

 ミス日本の初代は1950年の山本富士子さんで、実は最初はその一回だけのコンテストだったのを、1970年の大阪万博の時に復活させて、それ以来毎年行われるコンテストとして今日に至っているのだという。

 久米さんは第37代のミス日本で、有名な先輩としては1992年の第24代に藤原紀香がいる。

 市長と共に市長応接室で表敬訪問を受け、会話のやりとりがあった。

 話し方にはまだ初々しさが感じられたが、歯のきれいな印象が強かった。

 身長が165センチというから、これでヒールを履かれるとまあ目立ちますねえ。

 当面1年間はコンテスト事務局の下で各種のお仕事を、【学業優先で】こなすことになるということだが、「将来の夢は?」と尋ねてみると、「まだこれから考えます」ということだった。

 私と二人の写真も撮らせてもらって、握手をしてもらったが、その手の細いこと。

 「4月の選挙も投票をして下さいますか?」と訊いたら「はい!選挙は全て投票します」という優等生の答弁でした。 

 スケジュールがもうどんどん入ってきていると言うことだが、折に触れて掛川の宣伝にも一役買って頂きたいものである。

 いやあ、嬉しかった。心が癒されましたよ。


【明ヶ島のキャンプ】
 夜は、以前市役所で緑化技監として、市の緑化行政に力を貸して下さった、鈴木さんのお招きを受けて、市の北西部にある明ヶ島まで一泊の宿泊に出かけた。

 それぞれが知人を集めての宴会は、9人で賑やかに行われた。

 私もおよそ今日の皆さんの前では最後の蕎麦打ちを披露して、蕎麦に舌鼓を打った。

 この別荘の回りは、と言えば、完全なる杉林!鼻炎の薬がどこまで持つかやや不安でありました。

 だんだん見る景色が最後となるものが増えてきました。

 またいつか来れるでしょうか。鈴木さん、参加して下さった皆さん、ありがとうございました。



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こままさ