掛川奮闘記

2005年01月30日(日) 050130_ナタクマと原泉

 原稿に追われて、奮闘記が遅れがちです、すみません。

 さて今日は、
■ナタクマを訪ねる
■原泉で講演会という名の懇親会 の2本です。

【ナタクマを訪ねる】
 お隣の森町にナタクマという7戸からなっている集落があったという。

 よく一緒に仕事をして下さるサトさんがこの集落に地の神様のお宮があるというので、今日は私と一、二を争う神様フリークのキッちゃんと三人でこのナタクマを訪れることにしたのである。

 実はサトさんはこの集落の出身なのだが、彼が小学生のときに1年から6年生になる過程で、一年に一軒ずつ家が里に下りていった経験があるのだという。

 私としては集落が消えて行くという実感を五感で感じたくて、その今はなきナタクマ集落を訪れたいと思っていたのである。

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 森町で合流して車一台に男三人と、お宮の掃除グッズ、それに一応御神酒などを乗せて車は太田川沿いを上流へ向かう。

 途中までは太田川ダムの工事用道路として整備がされているが、あるところからその道とは分かれて右手の山へと入って行く。

 ここから先は車一台が通れる林道のような道が延々と続く。

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 ナタクマの集落の人たちが里へ下りていった理由を尋ねると、それは家の長男の就職先が浜松や掛川などの都市部になり、そこへナタクマに住んでいる親を呼び寄せるという構図で、一軒、また一軒と山を下りていったのだそうだ。

 そうして最後に一軒だけ残ったのがサトさんの家なのだが、それもいよいよどうしようもなくなって、最後に森町の駅近くへ下りてきたのだそうだ。

 集落はこうやって櫛の歯を引くように縮んで行くのだろう。

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 案内されたナタクマ集落は、道沿いに廃屋が並ぶ。道の一番奥に広場のような広い空間があって、その北側にサトさんの家がある。

 まだサトさんのお父さんがこのあたりでシイタケを栽培していて、作業のときにときどきは家を使っていると言うから、まだ電気も来ている。

 家の造りはかなり立派なもので、訊けば築400年だが一部は修繕が加えられているという。茅葺きの上には鉄板葺きで保護しているがそれもまた一部に穴が空いている。

 同行のキッちゃんは「直すなら今だ。これ以上痛むと直せなくなる。もったいないよ」を連発する。

 いよいよ裏山のお宮へ向かう。地の神様を祀っていると言うが御祭神は道案内の神様の猿田彦の神だという。

 お宮は物置小屋のような作りに囲われていて、雨ざらしになるようなことがないが、手が入るのは一年に一度のお祭りの時だと言うから、汚れるのは致し方ない。

 掃除をしていたら、屋根葺き替えの記録を書いた木の板が出てきて、サトさんの爺さんの八兵衛さんの名前と小國神社の打田末蔵という名前が現れた。今の小國神社の宮司さんのお爺さんに違いない。

 掃除をしていると、お百度参りの際に数を数える道具が出てきた。木の札が100枚あって、これをお参りするたびに一つずつずらしていったのだろう。

 昔の信仰心が偲ばれる。

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 さんざん掃除をして御神酒と榊を献じてお参りも終了である。わずか7戸の集落の地の神様。

 今では返って、年に一度の祭の時は当時出て行った人たちが親類を連れてきて賑やかになるそうである。

 このような原体験を小さな子供達に当たり前のこととして伝えていって欲しいものである。

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 ナタクマは今でこそ刃熊と書くのだが、かつては灘隈と書いたのだそうだ。遠州灘の一番端っこという意味なのだろう。

 そのなのとおり、前には遠く浜松が山と山の間から望めるのだ。

 「子供の時はここはそれはきれいな茶原でしたよ。浜松がどーんと見えましたよ。それがここを出て行くときに杉を植えていったんですよね。木がまだ売れた時代でした」とのこと。

 今ではその杉の木のために浜松が隠れがちである。茶原も風景も変わってしまった。


 実はこの日、お隣の家の主が友人を連れてこの集落の家で飲んでいるという。お住まいは別なところなのに、こうしてときどきこの集落へ来ては飲んでいるのだそうだ。

 男の隠れ家という表現にはぴったり来そうである。


 やっと来れたナタクマ集落。天気も良くて良かった。日本をまた一つ見ることが出来ました。

 サトさん、キッちゃん、ありがとうございました。

  





 
  
 
 




【原泉で講演会という名の懇親会】
 午後2時から原泉の学習センターで講演会。

 タイトルは『掛川市政の展望と掛川の思い出』として、合併直前の市の現状と私自身の掛川に対する様々な思いをお伝えしました。

 市政報告はそれとして、やはり最近の私のお題は「生涯学習の真実〜私は見た」かな。なんだか家政婦シリーズのような気もするが…(^-^;)。

 ここでも「もの」と「こと」の「事情」の話は受けていました。皆さん深く頷いていましたよ。

 予定では50人くらいもくるかなあ、と言っていたのが100人にもなったそうで、会場の学習センターもぎゅうぎゅうでした。参加して下さった皆さん、ありがとうございました。

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 講演会の後には萩間地区恒例の芋汁。

 刺身に鰹を切っているので、「なぜ鰹なんですかねえ?」と訊くと、「いろいろ事情がありまして…(^-^;)」だそうで、これは一本取られました。

 今回は女性の皆さんも参加して下さって、いつもよりもさらに華やかで賑やかになりました。

 一人のお爺さんが、「助役さん、今日ナタクマへいったかね。懐かしい地名だ。俺の父親が果樹をやっていて、できたらそれをナタクマまで持って行ったもんだよ」と話しかけて下さった。

 このあたりでは里へ下りるのと同じくらい、山を越えるくらい当たり前だったのだ。

 現代は車で考えるから一度里へ下りるルートを考えがちだが、昔の人の足は山坂を別になんとも思わなかったのではないか。

 そう考えると、車での時間距離ではない、人間が歩いて一番早い人間の時間距離による地域連携も見えてくる。

 昔は今よりも遙かに山越えの行き来があったのだろう。そういう視点を持つと地図の見方も変わりそうである。

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 原泉に飾られている市内の地形図の左端に市街にはみ出したところに、確かにナタクマの集落とお宮さんの記号が書かれていたのを見つけて笑ってしまった。

 原泉地区の皆さん、萩間地区の皆さん、今日もありがとうございました。



 原稿書きのために早めに失礼をしました。必要な原稿はあと12本です。うーん。



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こままさ