| 2005年01月18日(火) |
050118_校長先生にお話をする |
快晴の冬晴れ。寒いけれど、冬はこうでなくっちゃという感じです。今日は富士山も真っ白でくっきりと見えます。
さて今日は、 ■森町町長選告示 ■校長先生の集い講演会 の2本です。
【森町町長選告示】 わが掛川の隣町である森町で、町長側から提案された、袋井市、浅羽町との1市2町の合併案が住民投票の結果否決され、その結果議会これを否決したのは、昨年のこと。
村松町長は責任を取って辞表を議会に提出し、年末に辞職をされた。そこで年が明けた今日、次期町長を選ぶ選挙が告示をされ、二人の方が立候補を表明したという。
昨年辞職をされた村松前町長も、結局周りからの強い推薦の声に押される形で再度立候補を表明した。こういう場合、近隣自治体は前首長が立候補をした場合はそちらに駆けつけるのが暗黙の了解事項となっている。
市長不在の今日は、私が市長代理で出陣式に顔を出したのである。
前町長の出陣式は森町の金守神社の境内。快晴の空の下、すでに300人ほどの支援者が詰めかけてごった返している。
会場の一番奥にはひな壇になるトレーラーが置かれていて、その上に立候補者と選対本部役員、来賓が椅子に座っている。
役員、来賓の挨拶はどどんとカットするけれど、前町長からは、「立候補を決意したのは昨年の大晦日の日でした。合併するのが町にとっては一番と思ったけれど、町が合併しないという決断をした今、それならばそれとして、誰がどういう町政運営をするのが良いかということを考えたときに、今回だけはもう一度やらせて欲しい」と決意のほどが述べられた。
「選挙の準備は年が明けてからになってしまったので、相手に対しては出遅れた。今で五分五分、これからの五日間の中で、いろいろなことを訴えてゆきたい」とも。
森町町長選挙は、最終的にはこの村松前町長と元農協職員の榊原さんという二人が立候補の届け出をしたそうである。 町の選挙活動期間は五日間で、投票日は今週の日曜日である。
合併しない選択は、一般には合併に消極的な先の見えない駄目な自治体、という風に捉えられがちである。しかし、ひとたび住民が自らの向かう先をしっかりと見据え、その選択結果として「合併しない」という決断が下されたのであれば、単独で生きようとする多くの困難ごとに住民も責任を取るだけの覚悟をしたと言っても良いのではないか。
住民が心を一つにして何かのことをしようとすれば、多くの困難があったとしても納得と我慢ができるのではないか。
そう思えば、中途半端に時代に流されるような合併よりはよほど強固な行政運営もできるのではなかろうか。
合併しないという選択の町の行く末も、見守ってゆきたいものだと思う。
【校長先生の集い講演会】 小笠郡下の校長先生や教頭先生たちで作っている私的勉強会にお招きを受けた。「学校学の会」、「三木会」という二つの会の合同研修会という形で講演をしてほしい、ということである。
仲介の労を執ってくださったS校長先生から注文が一つ。「助役さん、教育の話だけはしないでください。教育の話はあちらこちらで聞かされるので、今回は教育以外の一般教養や助役さんの専門の公園のお話を聞かせて欲しいと思います」とのこと。
最近は公園の仕事の方が離れているんだけど…。
まあそれでも一時間半ほどいただけるというので、「公園のこと」、「幸せを生み出す社会資本」、「モノの社会資本から関係の社会資本へ」というお話、蕎麦のこと、最後に合併する掛川市への応援歌…などというあたりのことを縦横にお話をしました。
社会資本整備を生業とする者から見れば、マクロに量を整備していれば整備量につれて国民の幸せが拡大する時代は終わろうとしている。しかしまだまだミクロに見ると、公共事業や社会インフラが幸せをもたらす場面は多いように思う。
今回アメリカへ行って、デービスという町を視察したのだけれど、そこでは幅100mくらいの公園が緑道のようにずっと続いていて、公園の敷地境界がそのまま住宅地の裏庭になっているという都市整備を見た。
裏庭から自動車は出し入れできないけれど、人や自転車は出入りが自由。自分の裏庭の延長が緑の芝生あふれる公園で、しかも自転車を移動の重要なアイテムとして交通計画でも位置づけているというのは、すばらしい都市の作り方だ。
そんなことが公園の延長上に幸せがある、ということの一つの例になりそうだ。
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しかし、我々は公園や河川や道路などの目に見える「公共の社会資本」ばかりを追っているけれど、それらは社会に豊かさをもたらす資源としての「社会資本」という言葉をあまりに狭義に用いていると言える。
社会に豊かさをもたらす資源には、「公共の社会資本」ばかりではなく、「私有だが公共的意味の強い社会資本」や「目に見えない制度としての社会資本」「関係性が強いという意味での社会資本」などもっと広い視野で考えるべきである。
「私有で公共的意味の強い社会資本」ということになると、商店街の店構えなどはその典型で、皆自分の私的な商売をしているにもかかわらず、全体の町並みが楽しい場所として存在しているというのは公共的な意味があるということだ。
今は日本中で中心市街地、中心商店街が疲弊してシャッター通りになっているが、「それのなにが悪いの?」というドライな問いには、「それは賑わいからくる土地の多様な求心力という社会資本が失われているから」という答えが妥当だろう。
中心市街地の存在が価値あることだという共通認識をこういう形で説明しなくては、郊外型大規模ショッピングセンターに対抗することはできない。
もちろん、中心市街地の関係者自体が自分の商売の行く末だけでなく地域としてのそういう価値観をもってもらわなくてはならないのだけれど。
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「目に見えない制度としての社会資本」や「関係性が強いという意味での社会資本」になるとだいぶ観念的になるけれど、これもまた重要なことだ。
義務教育で子供たちには基本的な学力をつける制度がある、ということは自立した立派な社会人を作る上で欠かせない制度の資本である。
「関係性の資本」ということになると、私有のものとしては友達だとか信用ということがあげられるだろう。公共的なものとしては町内会活動やPTA、近所づきあいなどが挙げられるだろう。
A町とB町の町内会活動を比べたときに、A町の方がB町よりも熱心に町内会イベントや会合を行っていたとして、「何が違うの?」、「そういうことが好きな人たちが多いんだねえ」と捉えていてはいけない。
町内会活動を通じて地域の結束が固いと言うことは、何か事を起こすときの力となって必ず有効なのである。それは力になる。それは価値の高い状態なのだ、という考えるべきなのである。
そしてそういう関係資本の豊かな状態を善として、市民一人一人と様々なる人、情報、モノ、土地、歴史、文化などを結びつけ、関係を強化し、それらの関係資本を強化しようとしてきたのが、掛川の榛村市長の生涯学習まちづくりの旅路なのではないか。
生涯学習を「一生勉強すること」と単語の印象から短絡的に捉えるのは誤りなのだ。
…などと、一時間半にわたって言いたい放題、掛川から私が教わったことを語り尽くしました。
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最後の感想として、聞いてくださった校長先生たちからは、「うちの学校でも地区からは『先生たちがなかなか地域に入ってきてくれない』とよく言われる。先生たちにそう言っても、彼らの方は忙しすぎて、そこまでは意識が回らないようだ」とか、「学校の敷地内にPTAが作ってくれた冒険遊具があるのだけれど、怪我の心配があって残そうか怖そうか迷っている」という感想が寄せられた。
学校が地域にもっと開かれたものになれば、少しずつでも解決していくのではないか、という風にも思ったけれど、今日の私のお話が参考になれば幸いであります。
「良いお話を聞いた」のであれば、次は行動に移して頂きたいものである。良いお話だったけど、「自分にはできないなあ」とか「まあ無理だね」というのでは、所詮空理空論だ。
二宮尊徳のように、「我はただ実践あるのみ」でいきたいものである。
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