掛川奮闘記

2005年01月07日(金) 050107_新春初手揉み会

 天気が晴れれば晴れたで、気温が低くて寒いです。人間って勝手なものです。

 さて今日は、
■茶手揉み保存会新春初揉み会
■電線と景観
■アメリカへ の3本です。

【茶手揉み保存会新春初揉み会】
 朝9時から農協前で、小笠流掛川茶手揉み保存会による新春初揉み会が開催されて、市長と共に参加する。

 実は私はこの掛川茶手揉み保存会のれっきとした会員なのだが、まだ一度もまともに茶を揉んだことはないので、「れっきとした幽霊会員」というわけだ。

 蕎麦がある程度打てるようになった段階で、次なる伝統の手業は何かと思っていたが、お茶の手揉みを見て「これだ!」と叫んで、即会費を払って会員になったのだが、手揉みに参加することがなかなか出来ずにここまで来てしまった。

 参加するのが懇親会の酒飲みの場だけ、というのも悲しいが、まあそういうところで会員の皆さんと話が出来ただけでも良かったと思う。

 今日の初揉みは、神事に始まり、主催者挨拶、来賓挨拶と続く。

 市長からは、「農業の一次産業は価格が下がったら廃れるというのが常識だ。木材、お米、皆価格が下がって衰退の一途をたどっている」

 「その中にあって、お茶だけは最近でも物価と同じかあるいはそれ以上の値をつけていて、茶業界はまだやっていけるのでありがたいことだ」

 「しかし、昭和37年に日本人が最も米を食べたときは、国民一人あたり年間で117kgを食べたものだ。それが昨年ついに国民一人あたりの米の消費量が一俵を割って、58kgになってしまった」

 「米を食べて茶をすする、という食文化が当たり前でなくなったときに、茶が廃れると言うことを心配しているので、これからも米消費と茶消費を訴えて行くつもりだ」というお話し。

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 いろいろな団体が高齢化して高齢者の団体になりつつある今日、手揉み保存会には30代前半の若い人がぞくぞくと参加していて、これからの発展が期待され、頼もしい限りである。

 今日も、5つのホイロで、総勢約40人の保存会の会員の皆さんが初揉みを行った。

 お茶の手揉みは最初からやれば有に数時間はかかる工程なのだが、最終工程の近くまでやった茶葉も用意されていて、最終仕上げをちょっとだけ行って、通りかかった人たちへプレゼントもしていた。

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 式典関係者には直径7センチ、厚さ1センチくらいの丸い缶に手揉み茶を詰めたものがプレゼントされた。

 神事を行って下さった神主さんが、寄ってきて「僕のもらったお茶がカラカラ言うけどなんだろうね」と言うので、「開けてみたらどうですか?」と言うとなんと中身は画鋲(^-^;)。

 手揉み茶と同じ缶にいれるのは、ちょっとまずかったかもね。


【電線と景観】
 ある電力業界の方が年頭のご挨拶に来て、電気関係の話になった。

 私が「日本の景観を一番阻害しているのは電線だと思うんです。水道も下水も地中に埋めるのを当たり前だと思っているのに、空中に張れるばかりに電線が無定見に巡らされて風景や景観を台無しにしていると思いませんか」と言うと、
 「分かりますが、地中に埋めるのには上に張るよりも相当お金がかかりますからね」と言う。

 「私は茶畑の防霜ファンにも何とかならないものか、と思っているのですが、このあたりのお茶農家には遅霜対策として必要だ、と言うことなので困りますね」
 「お茶畑の防霜ファンは電力会社にとっても、あまりメリットはないと聞きましたよ」

 「おや、それはどうしてですか?」
 「助役さん、防霜ファンって年にどれくらい使いますか?」

 「年に…だったら、数日くらいですかね」
 「おそらくそうでしょう。でもそのために延々と電力会社は電線を引っ張って電気が使えるようにメンテナンスをしなくては行けないんですよ。おまけにそれだけメンテナンスをしておいて、電気を使ってもらえるのはほんの数日では、会社も儲からないと思いますよ」とのこと。

 「なるほど、設備投資もばかになりませんしね」
 「そうですよ。おまけに牧ノ原のあたりでは、そんな状態ながらファンを回すときは一斉に回すので、確かそれようの変電所まで作っていましたからね」

 「でも電気代は料金設定通りというわけですね」
 「そうです。メンテナンスに掛かっているからもっと電気代をもらう、ということもありません。全体をプールの料金体系ですからね」とも。

 なるほど、農業集落排水と同じような悩みである。線の延長を引っ張ってもその先の需要家はほんのちょっとしかいない、ということで、集合的に行うことがもう不利になっているという点で、同じような場面である。

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 私は掛川が「お茶のまち」を標榜するならば、全部とは言わず一カ所か二カ所だけでも、防霜ファンのない春先の芽吹きが写真になるような風景の場所をシンボリックに作るべきだ、と言っているが、そんな商売にならないようなことをする農家もいないものである。

 私は、農業が農業景観を作れないのなら、公園でやるしかないかな、と思うので、計画中の満水地区に作っている「22世紀の丘公園」には、防霜ファンのない茶畑がみられるような風景をつくって欲しいと思っている。

 飲んで健康、作って売って町の経済も健康、さらには風景を求めて大勢が来るような観光面の健全さもウリにして欲しいものだと思う。

 農業景観がお金になるような工夫があると良いのだが、これが難しい。

    ※    ※    ※    ※

 北海道の美瑛町は「丘の町」として知られていて、大きな斜面なりに農業作物が植わっている農業風景が素晴らしく美しい場所である。

 中にはたばこのセブンスターの宣伝に使われた林もあったり、「ケンとメリーのスカイライン」の宣伝に使われたポプラがあったりと、映像の話題にも事欠かない地域なのだ。

 しかしながら、この風景で飯が食えるかと言うことになると、ケンメリのポプラ横のペンションがちょっとしたおみやげ屋さんをひらいていて盛況なくらいで、あとはそのことが経済的に地域に寄与貢献するシステムが構築できないのだ。

 あくまでも畑は風景をみせる場ではなく、作物を作って売る土地だ、ということなのだ。

 何かが違うようなのだが、その何かを指摘できないもどかしさがある。

 風景、景観でお金を介さずに幸せにたどりつけるのだろうか?



【アメリカへ】
 いよいよ明日から創発調査でアメリカへ行ってきます。

 現地へのお土産に困って、知人で骨董屋をやっているOKさんに連絡をして、手頃な掘り出し物をもってきてもらう。

 現地で会う人の一人は日本の杯をコレクションしていたので、杯をいくつかいただくことに。

 なんだか埃にまみれて汚らしいので、「これは拭き取っても良いのですか?」と訊くと
 「これは売る方は取らないんですよ。買った方がきれいにしたいというのなら漂白剤につければあっという間にきれいになりますけどね」とのこと。

 こういう汚れも時の流れがつけたものなので、味わいの一つなのだという。眼力がないのが悲しいところ。

 それ以外にも、ちょっと派手目の香炉と舞扇もいただく。

 ではこれで、日本文化を宣伝してきます。OKさん、ありがとう。

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帰国は14日の金曜日の夜になります。

 それまでの間、もしアメリカでパソコンが使えてインターネットにアクセスできるようならばときどき報告をしたいと思いますが、余り期待しないでおいて下さい。

 では いってきます。


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こままさ