| 2004年12月05日(日) |
041205_地域防災訓練の日 |
年に一度の地域防災訓練。朝のうち風は強かったものの、昨夜の悪天候はウソのような晴れ。災害は晴天時とは限らないから怖い。
さて今日は、 ■地域防災訓練の風景 ■原泉と言えば萩間地区の芋汁 ■神様から呼ばれると断れない の3本です。
【地域防災訓練の風景】 今日は朝から年に一度の地域防災訓練である。これは今年が第22回目になるもので、毎年12月の第一日曜日に県下一斉に行われるのである。
市内の各地区で地区内の公園などを利用して、班編制の確認や負傷者搬送訓練、情報伝達訓練、消火訓練、給水訓練、救護訓練などの訓練項目をそれぞれの地区で自主的に行うのである。
市役所の幹部は、いくつかの地区を巡回して市長メッセージを伝えると共にその様子を見させて頂くことになっている。
今日の私は下俣地区、久保地区、亀の甲地区の三カ所を回る当番となり、訓練場所へと向かう。
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下俣地区は、参加予定人員450名のところ、530人以上が参加してくださり、関心の高さがうかがえる。
訓練では消化器を使って火のついた油を消す訓練や、新しく地区に導入された消火用ポンプなどの取り扱い訓練などが行われた。
見ていると中学生までは参加が多いが、やはり高校生の参加は少ないようだ。
区長さんによると「それでも、祭とこの地域防災訓練があるから地区の皆さんがなんだかんだで出てきますよ」とのこと。
祭と防災訓練が相互に補い合って、地区の連帯を高めているようだ。これが掛川パワーかな。
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次に久保地区の訓練をお訪ねする。ここでは区長さんの工夫として飛散防止フィルムを貼ったガラスとそうでないガラスを目の前で割ってみせて、 フィルムの効果を宣伝していた。
実際、地震が発生するときには家が倒壊して大けがをすると言うことももちろんあるのだが、小ケガの多くは家具の転倒やガラスの飛散による切り傷だと言うから、日常のちょっとした防災力の強化でしなくてもよいケガは防げるのである。
フィルムを貼っても、日の光が入る量が少なくなると言うこともほとんどない。心苦しいが、中越震災を他山の石として、我が身を振り返るきっかけとしたいものだ。
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最後は亀の甲地区。ここへ着いたときにはもう訓練の多くは終わっていて、炊き出しの豚汁が配られていたところ。
促されて挨拶をした後に豚汁をごちそうになる。これがまたうまい。
亀の甲地区は最近県立掛川東高校がこの近くに移転してきたことで、避難所が高校に代わったのだそうだ。
その避難訓練のために参加者が徒歩で高校まで歩いてルートを確認したという。こういう機会でもなければ近くの高校まで歩くなどということもないのだろう。
あらゆる形で地区をよく知ると言うことも防災力の強化策の一環である。これもまたテーマの豊かなまちづくりかもね。
【原泉と言えば萩間地区の芋汁なのだ】 原泉の萩間地区から芋汁会へのお誘いがあって、根がいやしいものだから調子に乗って参加させて頂くことにした。
萩間地区とは夏祭りにも参加したりして妙に縁があって、呼ばれるとなかなか断りがたい因縁を感じるのである。
現地の知人の車に乗せられて3時半過ぎに公会堂に到着。さっそく鮎で出汁を取った芋汁で迎えられる。なるほど、これは上品な香りである。
続いては鯖出汁、そしてシイタケ出汁と芋汁のフルコース。うほうほ、これはまた美味い。
特定の地区の皆さんとこういう時間を取りたいと思いつつ、なかなか縁のないところも多いが、なぜか萩間には良く来ることになっている。
そういえば地区集会でもお顔だけは見かけたのだが、お互いに声を掛けようにも公式の会合なのでそういうこともできず、目だけで挨拶をして会合終了と共に流れ解散となってしまうこともあった。
私としては是非とも蕎麦で地域興しなどが出来れば良いな、と思っているのだが、思うほど時間も取れず内心忸怩たる思いである。
今度来られるのはいつの日か。でもまた縁がありそうな予感もするなあ(^-^;)。
【神様から呼ばれると断れない】 夜には龍尾神社で、なんとはない祭の勉強会のようなものをのぞかせてもらう。
別に私がメインのゲストではないので、祭青年の参加者の感想や思っていることを聞くのはなかなか興味深い。
祭の始まりに各町内の屋台がこの龍尾神社まで集まるという行事を再興したときに、当時の年寄りの中には「こんなことを復活しやがって」とか「定着したのが残念」と言った、バッシングがあった、という話を聞いて興味深く思った。
掛川などは、今も昔も神様と祭を大事にしてきたのではないか、と思っていたのだが、戦後のある時期にはやはりそれとは反対のバイアスもかなり強く掛かったようで、だいぶ苦労したようである。
さすがにその当時のようなことはないようだが、戦後イデオロギーは形を変えて薄く広くまだまだ社会全体を覆っているようだ。
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宮司さんとお話しをしていると、「やはり江戸時代の300年間をそれほど強く指示されなかったのに、明治を迎える頃にはまた復興を遂げたわけですし、戦後占領軍に大バッシングを受けても、またいつの間にか持ち直しているわけですから、やはり日本人の心に染みいっている何かがあるのじゃないですか」とのこと。
それは「信じなくちゃ駄目だ!」と強要することなどではなくて、まずはその本質を知ることから始まるのだと思う。
西行が伊勢神宮で詠んだ、「なにごとの おはしますかは知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」という気持ちが全てかな。
ちなみにこのとき僧籍にあった西行は、伊勢神宮の境内には入れてもらえなかったらしいとか。
祭青年の熱心な気持ちには頭が下がります。どうぞこれからも続けて下さい。
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