掛川奮闘記

2004年11月23日(火) 041123_ロード・オブ・ソルト完走!おめでとう

 快晴の伊那路で、いよいよロード・オブ・ソルトの最終日。今日は私も一日自転車部隊に車で付き添うサポート隊です。

 さて今日は、
■晩秋の高遠を出発
■杖突峠の大パノラマ〜諏訪大社上社
■塩尻峠〜駅、そして平出遺跡でのゴール の3本です。


【晩秋の高遠を出発】
 高遠町の旅館「仁科」さんを出発。自転車隊はもう気合い十分で、旅館の前で準備走行。

 高遠は城址公園回りの桜が有名なのだが、「最近は温暖化のせいか、ぱっと咲いてぱっと散る傾向にありますね。昔のようにゆっくり咲いてゆっくり散ってくれるとお客さんも長く楽しめるのですが」とのこと。

 「最近は、インターネットでの満開情報が飛び交うので、『散り始めたよ』という情報が流れると、もうお客さんの足が少なくなるんですよ」とのこと。

 計算されないような出会いのない、正確な出会いばかりを求めて、それがかなってしまう情報化社会も善し悪しだなあ。

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 お宿を出発して20分ほど走行したところで、荒野公民館前で休息。

 我々一行がたむろしていると、話しかけたくて仕方がなかったような地元のおじさんが「何をしてるの」声を掛けてきた。

 「自転車で静岡から来て、塩尻まで行くんですよ」と言うと、「それならあそこに神社が見えるでしょ、そこの横には馬頭観音もあるよ」と教えてくれた。

 道路本線からははずれた細い道沿いだが、なるほどなかなか立派なお社がある。貴布祢神社とあって、貴船神社なら良くあるがこの字ははじめてだ。

 あたりをうろついていたら、またまた別なお爺さんに声を掛けられて同じような会話をする。

 「この道は昔参勤交代でお殿様が通った道なんですよ」と教えてくれた。先ほどのおじさんに会わなければ見られなかった風景だ。こういうゆっくりした旅も良いなあ。

【杖突峠の大パノラマ〜諏訪大社上社】
 いよいよそこからは胸突き八丁の杖突峠。文字通り杖をついてやっとのことで上がるようなきつい上りが続く。

 サポート隊は車なのでアクセルをちょいと深めに踏み込むだけで峠の頂上にたどり着くことが出来るが、道の勾配を体で感じる自転車隊にはかなり堪えたようだ。

 杖突峠の頂上には、「アジア公園」なる私有地の広場が広がっていて、高床式もどきの和風高倉があって、異様な風景。
 
 バブル時期の名残のテーマパークを思わせるような趣味のあまりよろしくない施設で、日本経済の傷跡を見る思いがした。

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 ここで、初日に参加してその日の内に掛川まで帰ってしまったTさんと合流。Tさんは、いささか自転車に魅せられたようで、前日に「明日行きたいと思う」と盛んに参加をほのめかす電話をスタッフによこしていたのである。

 本人が来たいというのを断る必要もなく、参加して頂いたが折良くこの車にNPO法人スローライフ掛川の井村代表も乗せてきてもらうことにした。
 ぞくぞく関係者が集まり始めたぞ。

 峠の頂上からやや下ったところに茶屋があって、そこで眺めを楽しむ。北アルプスの槍ヶ岳、北穂高岳から諏訪湖、岡谷市街、諏訪盆地、八ヶ岳までの、角度にしておよそ150度くらいの大パノラマに一同感激。

 天気も快晴で、雲一つ無い空に山の姿がくっきりと浮かび上がる様は雄大だ。遠くの北穂高岳や槍ヶ岳は、もう雪で真っ白。冬はそこまで来ているのだ。

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 そこで私はちょうど開店した蕎麦屋さんに飛び込んで高遠蕎麦をいただくことにした。

 以前から高遠蕎麦の呼び声は高かったのだが、なかなか実際に食べる機会はなかったのだ。今回もこれで食べられなければ、前日に76駅を超えて飯田戦できた甲斐がない、というものだ。

 高遠蕎麦は、信州の地粉で打った蕎麦は良いとして、汁を出汁に対してかえしの少ない薄めの汁に焼き味噌をお好みの量溶かして、それで食べるという独特のものだ。

 高遠蕎麦も保科正之が高遠城主から会津へ移ったときに蕎麦職人たちがお殿様について行ったために一時は廃れた、と聞いたが、またこれを復活したようだ。

 こういう歴史的な話題はお金では決して買えないし、これを活かせば素晴らしい食文化ができあがるだろう。

 掛川でもなにか蕎麦にちなんだ話題がないものか、と思う。

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 峠を下りきると自転車隊は細い道路を車を避けながら走り、諏訪大社の上社本宮へと向かう。今日の昼はそこで食事なのだ。

 諏訪大社は上社と下社に分かれているが、上社はまた前宮と本宮に、下社は春宮と秋宮に分かれていて、全部で四つの神社の集合体なのである。

 もともとはそれぞれが独立したお社だったのだろうが、ある時期に一つにまとめられたらしい。

 上社本宮のご神体は後ろにある守谷山そのもの。山そのものがご神体という形式はいかにも原始神道の名残を色濃く残したものである。

 社の回りに四本の柱を立てて、これを申と寅の年に取り替えるために山からこの柱を切り出して、坂を一気に下るという天下の奇祭「御柱祭」は今年だったが、残念これまた見る機会を逸してしまった。

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 さて上社でのお参りを終えると次は諏訪湖の水が川に放流される釜口水門を見学。

 自転車野郎たちを写真に納めようと思うが、彼らのカラフルなジャケットは水門の陰になってしまって色味が出ないのが残念だ。

 水門からの水があの天竜川のまさに源流なのだが、残念、水の青臭い匂いがこちらまで伝わってくる。諏訪湖の水質悪化はなかなか改善されないようだ。  

 さて、いよいよここからは最後の難関、塩尻峠である。これを過ぎればとは下りで一気に塩尻駅まで向かうことが出来る。みんなもう一息だ頑張ろう(って、車の私が言って良いものか…(^-^;))

 
【塩尻駅、そして平出遺跡でのゴール】
 塩尻峠もかなりきつい勾配が延々と続く、しんどそうな難所である。しかしサイクリストたちには案外評判がよいのは登坂車線があるために、車からの距離が取れて安心感があること。

 これで路側帯もほとんど無いような道だったら、怖くてふらつくことすら出来ないのだ。

 頂上で一休みするとまた隊列を組んで下り始める。車の私は先を急いで、カメラで彼らを待ち受けたのだが…、来ない!

 ややしばらく隊列が姿を見せずになにかあったような予感がする。電話で連絡を取ってみたところ、なんと二台同時にパンクしたのだそうだ。
 
 こんなことも長旅ならあるものだが、すぐに替えのチューブに交換してしまう芸当が出来る辺りはベテランサイクリストを揃えた真骨頂である。

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 こんなトラブルに見舞われながらも自転車と車の一行は順調に目的地へ向かい、16時少し前に塩尻駅の観光協会に到着した。

 観光協会では塩尻市役所の上條係長さんが待っていて下さって、ワインとブドウジュースを振る舞って下さった。

 思えば太平洋の相良町から預かった塩を良くもまあこんなところまで運んできたものだ。

 感慨深い塩と、わが掛川のお茶を上條係長さんに差し上げて、この旅の大きな目標が果たせた。記念写真を撮って、全ての公式の日程は終了である。

 塩尻市役所さんからは、お返しにと「WINE CITY SHIOJIRI」と書かれたソムリエナイフをプレゼントされる。モノ以上に心が通い合った思いがした。

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 ここからはおまけのオプショナルツアーで、駅すぐ近くの縄文時代の遺跡公園である平出遺跡公園へと向かう。

 最後の最後に、スタートの時に使用した横断幕の裏側に書かれた「ゴール」の文字を前にして全員で記念写真撮影。既に秋の日は北アルプスに沈んでしまった。

 皆さん、本当にお疲れ様でした。

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 着替えや電車で帰る人たちは近くの駐車場で準備を整えて、再び駅へと向かう。

 本当に今度こそこれで旅はお仕舞い。一緒に走ったサイクリスト仲間同士の通い合う気持ちに及びはしないが、私も別れの握手を一人一人と交わして4日間の苦労をねぎらう。

 無事に天気も4日間続いてくれ、事故もなく本当に良かった。

 寂しくなるけれど、またいつか反省会の形で集まってこの話題で盛り上がりましょう。お疲れ様でした。

    ※    ※    ※    ※

 ところで我々はここから掛川まで4台の車を連ねて延々とドライブで帰るのであった。

 それも高速道路ではなく、一般道を南下して帰ること約5時間以上。

 スタッフは掛川に夜12時過ぎに到着してからホームページをアップしてくれたが、これまた苦労の連続だったに違いない。

 本当に皆さんご苦労様でした。全ての関係者にお礼を申し上げます。


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こままさ