掛川奮闘記

2004年11月22日(月) 041122_JR飯田線に乗る

 今日は午後から、ロード・オブ・ソルトに向けて高遠町に向かいました。自転車舞台はどんどん順調に北上を続けているようです。

 さて今日は
■H地区の老人クラブで講演をする
■飯田線で高遠へ向かう の2本です。

【H地区の老人クラブで講演をする】
 10時45分からH地区の老人クラブで講演をしました。

 これまでにも何度か、この手の老人クラブの会合でお話をする機会があったのだが、今回は更にいろいろと工夫を重ねましたよ。

 その一つはレジメです。私も市長のマネをして、お話しをするときはレジメ一枚を作るのですが、市長はこのレジメをA4サイズ一枚にまとめます。

 私は今回それをA4サイズで作ったレジメをA3サイズという倍の大きさにしてお配りをしました。

 やはりお年寄りには小さな字はつらいのではないか、と思ったのです。特に今回は掛川市の工業出荷額の推移表をレジメの裏に印刷したので、余計に小さな字になりそうでしたから。

 会場のH地区の公会堂には百人以上の参加者がいて、用意したレジメが足りなかったのですが、事務局の方がコピーして追加して下さいました。

 皆さん読めたようですから、ちょっとかさばるかも知れませんが、レジメはやはり大きくして良かったと思いましたよ。

 もらっても読めなくては、何のための資料なのか分かりません。読めても分かりづらければやはり同じ事です。

 お話しするときの声も同じです。いくら良いことを言っても、聞こえなくては何の意味も持たないでしょう。

 先日もある会合で、会場が広すぎたために挨拶をしていた方の声が回りに集まって人たちに聞こえない、ということがありました。

 「まあ挨拶なんてどれも同じだから、時間が過ぎればどうでもよい」と思ってよいことではありません。

 そのことに気づいているのであれば、なおさらなんらかの改善措置を講じなくてはなりません。  

 だから、お話しをするときにマイクの調子が悪いのを放っておいたり、マイクを通した声が聞こえないということがあっては行けないし、話しては腹の底から精一杯の声を出さなくてはならないのです。

 人前で話すと言うことは、呼吸法も必要だし体力も必要です。ただ「喋る」ということとは違いますからね。練習に値する事柄なんですな。

    ※    ※    ※    ※

 それと、聞いて下さるためにもう一つ大事なことは、聴いて下さる人の心がこちらを向いているように常に心を配ることです。

 話をしていると、寝ちゃう人もいますが、それは話の内容が興味のない方向に行ってしまっていたり、話し方が面白くなかったり、単調な話が続いたりとする場合に起こりがちです。

 そういう人が増えているのが見えているときは、話を切り替えたり、脅かしたりするのが効果的です。

 聴衆の気持ちをこちらに向けるためには、しょっちゅう笑わせるのが効果的ですが、この笑わせるというのが結構難しい。

 下品じゃいけないし、分かってもらえるようなネタで笑ってもらうというのは普段からいろいろとネタを用意しておかないと、その瞬間に使えるようにならないので、やはりこれも蓄積と練習ですね。

 会をこなすと、だんだんお年寄りの皆さんを喜ばせるのが得意になってきた様な気がします。

 もっと声を掛けてくれればいくらでも笑いながら市政のお話を聞いてもらえるのだが、なかなか時間が合わないことも多くて残念です。

 またどこかで聴いて下さいね。

【飯田線で高遠へ向かう】
 いよいよ明日は、高遠から塩尻までの66kmで3泊4日の自転車による塩の道ツアーとそこから見える日本再発見の旅も終わるのである。

 どうやら明日まで天気は持ちそうで、金曜日のプロローグランが雨に当たっただけで、本番の土曜日から明日の火曜日までは快晴という絶好の自転車日和が続いた。本当にありがたいことで、自転車の神様には本当に感謝のしようもない。

 ツアーの状況は毎日、走行して宿に着いた後にスタッフがホームページを作成してアップしているのでその楽しさや感動、発見が伝わってきてうらやましい限りである。

 明日の休日はなんとか一日をロード・オブ・ソルトの最終日のサポートにつきたいと思っていたが、午後の仕事をなんとかお願いして調整し、今日中にロード・オブ・ソルトの最後の出発地である高遠まで行くことにした。

 今日中に高遠に着くにはどうしたらよいかを調べてもらったところ、15時44分の新幹線で二つ先の豊橋まで行き、そこからJR飯田線にのれば、9時11分に高遠原の駅に着く、ということが分かった。

 おそらく、今日を逃せば一生にうちに二度とJR飯田線に乗るということも無かろうと思いながら、午後の一本の打ち合わせをこなすと、教えられた通り15時44分の新幹線に飛び乗って豊橋駅まで到着。

 そこから飯田線の16時43分発上諏訪行きに乗って一路高遠まで電車に揺られる旅となった。

 豊橋からの始発電車は高校生の帰宅時間と合ったこともあって、車内は学生たちの嬌声が続いた。

 やがて複線の線路は単線になり、右に左にと揺られながらの各駅停車の旅が続く。なにしろ、16時43分に豊橋を出て、高遠原到着は21時11分と言うから4時間半の電車の旅なのである。

 豊橋から乗った高校生は次第に少なくなったかと思うと、ある駅からはまた別の高校生が大勢乗り込んできて、それもまたやがて駅が過ぎるたびに少なくなるということを繰り返す。

 出発してすぐに秋の日は落ちて、闇の中を走る電車からは外の景色見ることもままならず、明るい日中の旅が出来ればと思うばかりである。

 水窪駅では斜面に沿って上の方まで街灯があって、民家があることが知れる。

 やがて学生も県境である大嵐(おおぞれ)駅を最後に姿を消した。その次の小和田駅は、かつて小和田雅子様が皇太子殿下とご成婚をされたときに秘境駅ブームも重なって大変な人気が出たとのことだが、いまではまた静けさを取り戻しているとのこと。

 ホームに三県分境を示す標識もあって、大変なところまで来たという印象が深い。

 そうしていくつかのトンネルを過ぎるともう外の景色は信州長野県である。南信州なのである。

    ※    ※    ※    ※

 そうこうするうちに、現地で宿に入ったスタッフから「駅はどこまで行きますか?」というメールが入って、「高遠原に21時11分に到着します」と答えると、「それってどこですか?」という返信が帰ってきた。

 「どこですか?って、高遠町の駅ではないの?」と訊くと、「宿のおかみさんが、『一番近いJR駅は伊那市駅です』と申しています」とのメール。

 えー!? 高遠町なのでてっきり高遠原駅だと思っていたが、どうやら勘違いだったらしい。メールを頻繁にやりとりして分かったのは、やはり高遠町の近くの駅は伊那市駅で、それは高遠原駅のさらに13駅先だということ。

 掛川を飛び出したときに手にした資料では、豊橋から高遠原までの間に63駅ということだから、伊那市駅までは76駅を過ぎた77番目の駅ということになる。到着も21時51分だそうだ。

 5時間の各駅停車の旅とは、やはり一生に二度となさそうだ。

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 やっとの思いで22時少し前になんとか伊那市駅に到着。駅にはスタッフのサトさんと白鳥さんが迎えに来てくれていて、そこから高遠町の宿「仁科」さんへ向かう。

 到着を迎えてくれて、こちらはこれまでの苦労をねぎらう形で酒盛りが始まって夜も更けて行く。

 さて、明日はツアーの最終日。ほどほどのところでお休みである。

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 ところで、さんざん苦労して高遠に着いてみたが、知人からは「私だったら名古屋から高速バスできますよ。多分その方が早いと思います」と言われてしまった。

 なるほど、それは一面では正解かも知れないが、それならこういう旅の思いも出来なかったわけだ。

 高遠に着くだけではなくて、天下の秘境線である飯田線に乗れたことに意義深いものがあるような気がする。これまたスローライフ。あー、明るいときに乗りたかったなあ(^-^;)。 


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こままさ