掛川奮闘記

2004年09月28日(火) 040928_教育講演会の講師をする

【東山口PTA講演会】
 東山口小学校のPTAに招かれて、教育講演会を行う。

 会場には60人くらいの保護者の皆さんや先生がいて下さって、一時間にわたるお話を聞いて下さった。

 例によってお題は娘が不登校になったときのお話しで、様々な不安や葛藤、夫婦の問題、親としての自覚と覚悟などについてお話しをしたのである。

 子供が「お腹が痛い」と言うので医者に連れて行ったときのことだが、お医者さんは一目で「内科的に痛いのではない」と見抜かれたのだった。

 問診で先生に「学校、楽しい?」と訊かれた時に、こどもがポロポロと泣いてうずくまったときに、一体何に気づかなかったのか、とは今も自問自答することである。

 それほどまでに学校に行かせることの外形的なことにこだわっていたのはなぜか? しかし、あの腹痛が心理的なストレスから来ているものだと分かったとして、「学校を休みなさい」と言えたのだろうか、と思うと今でもその自信はないのである。

 全てはその時の親の判断だったわけで、その結果を全て引き受けるのも親の役目なのである。決して他人の所為には出来ないのだ。

 こどもがポロポロ泣いたシーンの話をすると、自分自身も涙がこみ上げてくる一瞬があって困ったのだが、聞いて下さるお母さんたちの中にもグスグスすすり上げる方がいた。

 子供が泣いているような話は切ないものだが、そのようにならないようにするには、普段からの親と子供の間でべたつかない程度のコミュニケーションを取れるような関係を維持することしかないのかな、というのが今の私の考えである。

 その瞬間に正しい答えなどなくて、全てはその結果として正しかったかどうか、という過去形で現れてくるのが教育だと言える。

 しかしその瞬間の判断をどうしようかと悩みすぎる必要はない。全てを受け止める覚悟をした上でどうどうと信じる道を行くしかない。親とはそういうものなのだろう、きっと。

    ※    ※    ※    ※

 小学校時代の不登校を脱して大学生になった娘も、今ではまた親を困惑させるような自分なりの主張をしてくるようになった。

 娘の主張が「わがまま」なのか「意欲の表れ」なのか。
 主張を認めることが「親の寛容」なのか「放任」なのか。

 主張を認めないことは「親としての監督責任」なのか「意欲の芽を摘むこと」なのか。
 親の覚悟はどこまでなのか。覚悟が必要などと講演では言っていても、その瞬間の覚悟とは何なのかという全てに答えが見つかる自分でもない。

 まだまだ当分、いや親である限り一生悩み続けるのだろうけれど…。
 
【PTA懇親会】
 講演会だけではどのように聞いて下さったかが分からないので、夜に懇親会をしましょう、ということにして、夜に先生たちとPTA役員の皆さんと共に、一杯飲む。

 「さっき質問しようと思ったんですけど…」という方もいたが、なかなかみんなの前では質問も出来なかったようだ。

 校長先生に伺うと、「最近は教師も自分の子供の調子が悪い、ということが多くて県教委も困っていますよ。だから積極的に自分の子供の行事には休暇を取って参加するように奨励していますよ」とのこと。

 先生も時間が取られる職業なので大変なのだ。「紺屋の白袴」だが、笑える話ではない。

 今日の話がなにかの助けになれば幸いだと思いますよ、ホント。

【静岡新聞の記事】
 そう言えば、日曜日の静岡新聞に、「建築と蕎麦のコラボレーション」の記事が大きく載っていて、参加者一同喜んだところ。

 竹の丸まで来て下さった記者さんともいろいろとお話しをしたが、「どうせ親父の蕎麦打ち趣味の延長だろう」という先入観を持っていたりすると、こちらの本気度合いに驚かれるかも知れないね。

 お蕎麦を食べて下さって、「いやあ、感動しましたよ」と言って下さったので、「感動の度合いは紙面の大きさで計れますね」と冗談を言っていたら、思いの外大きく書いて下さって、我々蕎麦研だけでなく建築家集団LNの方も大いに喜んでいた。

 ありがたいことであります。次の機会にもお越し下さい<記者の皆様へ

 
 明日は埼玉〜東京です。


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