| 2004年08月07日(土) |
040807_アジアカップ優勝! |
【家事をしながら】 五木寛之の確か「大河の一滴」だったと思うのだが、そのエッセイ集の中で、「自分は足の指をきれいにしてあげることが大事だと思って、風呂では一生懸命足の指を洗っている」という下りがあった。
そこでの主張は、体も社会も末端が大事で、汚れもゴミも不幸もみんな溜まるのは末端であるのでそこに注意をしなくてはいけない、というもの。
社会でもおおかたはそこそこ幸せに生活をしている社会になったが、やはり不幸な部分もあって、そこは大概社会の端の方なのだ。木で言えば葉っぱの先みたいなもので、大木の一枚や二枚の葉っぱが腐っていてもたいした気に止めないということだろう。
このことは当たり前と言えば当たり前で、大木の木の幹が異常になれば皆が気づいて「なんとかしなくてはなるまい」という力が働いて直す努力をするだろう。
社会でも、大きな社会問題ならばマスコミも取り上げるだろうし、政府や当局も放っておけずに改善措置を講じることだろう。
しかしそういう中にあって、目立たない隅っこにこそ実は解決しきれない問題が転がっているのであって、我々も対局を観る目と細部への関心の目の両方を併せ持つようにしないといけない、というお話し。
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さて、一週間ぶりに家に戻って、家の掃除や洗濯をする。普段はなかなか出来ない大物の洗濯などもして、気分も一新。
さて掃除という段で、久々に部屋の隅っこなどに注目して掃除をしようとしたが、これが実に汚れている。ふだんなかなか目も届かず手も届かなかったため。
挙げ句の果てはわりと新しいアパートなのに、家の中に小さな蜘蛛が巣を作っていて、食べるものが虫もいなくてそのまま死んでいたりもした。こりゃまた随分と目が届かなかったものだ。
改めて押入の中を見ると、今までに買った雑誌なども無造作に積み上げられていて、これまた乱雑。
物事全てに関心をもとう、というのが生涯学習の本旨だ。そう考えると家の掃除とはなにか、と考えるのも生涯学習なのだがなかなか実践は出来ないな。
とはいいながら、もういらないものもはっきりしてきたし、ぼちぼちやりますか。それにしても今日も暑いね。
【アジアカップサッカー大会日本優勝】 いまさらの感もあるけれど、日本がアジアカップサッカー大会で中国に勝って優勝。嬉しいものであります。
中国国内での試合ということで、反日気分の蔓延する完全アウェイでの試合の連続。おまけに決勝がホスト国の中国とあっては相当のプレッシャーが掛かっただろうと思うけれど、よくぞ耐えて優勝をしてくれました。
準々決勝、準決勝と「もう駄目か」というぎりぎりの状態からでも諦めずに追いつき、勝利をもぎとることが出来たことで、素晴らしくタフなチームになりました。
地元中国のこれまでの政治姿勢や国民施策の中で「反日」ということが改めてクローズアップされて、中国サポーターの反日行為が日中以外の他の国にも異常に写ったとすれば、中国自身がこれから世界の中の枢要な一員という立場を貫くにはマイナスになったことだろう。
それにしても、日本の国旗を燃やしたり公使の車のガラスを割るなどと言うのは、これが逆の立場になったら中国側がどういう態度を示すか、と言うことを想像すると、日本側の態度は大人しく感じる。
国際関係の常識に照らして、言うべき事ややるべき事をきちんとする姿勢が大事だな。中国だってみんなが反日だったり悪いわけではないし、日本人だって同じ。要は常識に照らしてバランスを取るということが大事。
もっとも今は常識も揺らいでいるし、バランス感覚も危ういことが多いけれど。
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上智大学名誉教授の渡部昇一さんが、正論8月号に「昭和天皇が体現された『適者生存』の法則に立ち戻ろう」という論文を書いているが、そのなかに「…進化論は適者生存のバランスをとり続けることであり、イデオロギーはバランスを考えずに一つの目的を追求することである」という一節があった。
彼によれば私有財産憎悪に始まったマルクス主義はその典型だし、その影響で台頭した戦前の「右翼」だって同じ。「昭和の右翼運動は皇室を担いだ共産主義だった」ということになる。
渡部氏の同論文では、「ソ連のコルホーズもソホーズも、中国の毛沢東下での極端な平等主義も結局は駄目になり、元に戻ってしまった。元に戻った結果、百年以上前の資本主義の一番悪いところに先祖返りしてしてしまっていて、労働組合もなければ労働者保護もろくにないところまでもどってしまっている」という。
「…世界中から社会主義国家は北朝鮮やキューバなどを除けば消えてしまった。しかしそのイデオロギー的要求は常に危険な要因として残っている」ともある。
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渡部氏は「マルクス主義を殺した哲人」と言われたハイエクの晩年の通訳をした方だが、その名著「隷従への道」の中の最終版につけた序文を紹介している。
「産業の国有化をやろうなどという国はなくなったが、まだ社会主義イデオロギーの要因が残っている。それは今の税制であり、更に福祉政策というものである。これらは国有企業のようにすみやかには崩壊しないであろうが、いずれ崩壊するであろう。同じイデオロギーが根っこにあるからである」と…。
バランスを失えば生物は滅びるものなのだが、しばしばバランスを失っていることに我々は気づかない。聞こえの良い正義に見えるあらゆるイデオロギーから卒業することが必要なのだ。
…なあんて、サッカーを観ながらビールを飲んでいて思い出しました。夏休みの間にもう一度ハイエクとスペンサーでも読んでみようかなあ。渡部昇一さんの解説本でもいいけどね。
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