掛川奮闘記

2004年07月23日(金) 040723_安曇野で懐かしい顔に会う

【安曇野へ】
 朝の新幹線に乗り、名古屋からは特急「しなの」に乗り換えて安曇野へ向かう。安曇野へは約一年ぶりかな。

 平成8年10月から平成11年の3月まで事務所長として過ごしたアルプスあづみの公園が明日一部オープンするのを迎えて、今日は事前に乗り込んで安曇野を見て回ろうというのである。

 私が事務所長時代に総務課長をしてくれていたAさんに事前に電話をしたところ、「それじゃ迎えに行きますよ」と言ってくれて、大糸線の豊科駅までAさんが車で迎えに来てくれた。豊科は標高約600mの高地だが、今日は陽射しも強くさすがに暑い。


 「さて、どこへ行きましょうか」と言われたが、まずは開園を明日に控えて忙しいとは思ったが、事務所を表敬訪問して事務所長に開園のご苦労話を聞かせてもらった。

 どこでもそうだが、最初の開園というのは実に苦労が多いものである。 開園式典だけならさほど問題はないのだが、開園と同時に1週間程度はイベントを行うのが常なので、式典からイベントになだれこむ調整を行うのは課長や所長なので、苦労が多いのである。

 人事のあやというべきか、現在の公園事務所の所長は造園職ではないかたが在任していて、そういう面でも苦労はひとしおのこととお察し申し上げる。ご苦労をおかけしています。

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 所長から開園への意気込み半分と、苦労話半分をさんざん聞かされたところで辞去して、開園直前の公園を見せてもらうことにした。

 事務所からは車で15分ほどだが、公園までのみちすがらに私がいたときにはなかった郊外型大型ショッピングセンターなどもできていて評判がよいという。安曇野でも商店街は大変になりそうだ。

 現在の公園の施設は、私が在任中にイメージを固めた「あずみの学校」というものをモチーフにして、ほぼそのままに仕上がっていた。

 「あずみの学校」というのは、地域の歴史や伝統、音楽、環境や動植物などに造詣の深い地域の住民の皆さんが、安曇野について語ってもらい、そのことを地域の人たちも学習し、観光などをきっかけにして安曇野を訪れて下さる外部の人たちへもお知らせをする場所としての機能面からの「学校」というイメージと、建物のモチーフを昭和レトロな板張り校舎風の外観で懐かしさとノスタルジーを演出するという二つを考えた結果である。

 様々な映像や写真、パンフレットや展示などで安曇野の良さと魅力を来園者に伝えて楽しんで欲しい、というイメージがあったけれど、それらはおおむね達成できたと思っている。

 「ああすれば良かった」と思うことも多々あるが、まずは現実にものを仕上げたところから改善を加えて行くしかあるまい。

 管理スタッフも公園緑地管理財団からの「切り込み隊」と呼ばれる、開園請負人が派遣されていて頼もしい。地域の人たちと多く語り合って信頼を得る仕事をして頂きたいものだ。

 さてさて、明日の開園が楽しみである。

【安曇野を考える会】
 公園を見せてもらった後は、当時この地域で結成して頂いた「安曇野を考える会」の皆さんと、当時の課長たちが集うて一杯飲むことにしていて、会場のビレッジ安曇野へ集合する。

 会からは前会長のSさんを始め、副会長のKさん、堰の歴史について詳しいFさんなどの面々が集まって下さって、昔話に花が咲いた。

 私としては当時から、公園を地域の人たちが誇りに感じつつ、そこで自分たちの夢を実現できるような場所にする必要があると感じていて、そういうお話しに理解を示して下さって、会として設立して下さったのが、「安曇野を考える会」である。

 この会のご協力無くしては公園の施設は出来ても、中身のない従来型の施設を見て終わり、という公園になってしまったに違いない。

 あづみの公園が他の公園より面白い点は、こういう地域の人たちと一体となって様々なコンテンツが作られて行く過程にあるのであって、そのことへの労を惜しまない公園の姿勢が評価もされているのだと思う。

 一緒にお酒を飲んでいて、昨今に比べて5年前のあの頃がいかに良い時代であったかを改めて感じました。幸せだったんですねえ。

 会の皆さんの多くは「公園パートナー」という称号で、ユニフォームと証明書をもらって、公園の中で案内やガイドをしていただくことになっている。

 そのことは無理を押しつけているのではなく、皆さんがやりたかったことに近いもので、双方にとって望ましい方向を向いていると思います。

 やっとできる公園が喜ばれるものになるようお祈りする限りです。

 参加して下さった皆さん、ありがとうございました。明日を楽しみにしましょう。

 


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こままさ