掛川奮闘記

2004年07月11日(日) 040711_「幸せ」を売ろう

【阿吽の行方】
 お城の側に「こだわりっぱ」という物産館があるのだが、ここの前庭を改修するに当たり、商工会議所から寄付された「阿吽」という彫刻を移動させる話が出た。

 担当者がいろいろ考えて、二の丸美術館と二の丸茶室の間のスペースが良かろう、ということになったのだが、どうもそのまま置くのでは歴史的空間と現代彫刻が合わないのではないか、という話が出て、簡単にはいかなくなった。

 そこで困って市内で造園業を営むTさんに相談して、なんとかうまく行く方法を考えてもらった。事情をお話しするとTさんは、「これはこの空間に間違いなく合う!」と断言をして、すぐにイメージを描いてくれた。

 そこでそのとおりに話を進めてきたのだが、それが完成したという知らせを聞いたので、さっそく今日その姿を見に行くことにしたのである。

 なるほど「阿吽」は予定の場所に置かれていたが、その脇に楓が植えられていて、回りにとけ込ませる役割をしている。
 Tさんによるとこれは「障り(さわり)」という技法で、ちょいと隠すことで唐突感を和らげているようだ。 

 見る人にも結構評判が良いようで、「阿吽」も無事に終の棲家に納まってくれそうだ。良かった。


【市内のお蕎麦やさん】
 そういえば、市内の蕎麦屋さんもあまり回っていないことを思い出して、お昼は市内の蕎麦屋さんで大盛り蕎麦を食べた。

 出てきたお蕎麦を食べさせてもらったが、うーん、今ひとつ蕎麦の香りとコシが伝わってこない。汁も出汁がもう少し欲しい感じだ。

 感動が伝わってこないなあ、と思いながら食べ進み、食べ終わったところでそば湯をお願いしたところ、そばちょこに入ったそば湯が出てきた。

 これではソバ汁に入れづらいではないか。湯桶とまでは言わなくても、やかんでも良いからそば汁に入れやすい風にして出して欲しかったなあ。

 結局「お店は何を売っているのか」という問いにどういう答えをもっているか、なのだけれど、お店は「商品という媒体を使って、消費者に幸せを売る」ことが役目なのだ、と改めて思った。

 商品は売れていても、幸せが売れていなければ長く続かないような気がする。商品が売れないというのは、それを買っても幸せがついてこない、ということに消費者が気づいているからなのではないか。

 「幸せ」というのは極めて主観的なもので、必ずしも安いとか美味しいとかいった商品価値だけではなく、それを買うときに売り手の笑顔が見えるとか、売り手との会話が楽しいとかいったサービスも含めての価値なんだな。お愛想なんて最たるものかな。

 相手をハッピーにさせるという点では市役所の仕事も同じだけれど、自分たちの仕事や市民に接する過程でより多くの幸せを生み出して欲しいものです。

 今日のお蕎麦にはちょっと幸せが少なかったような気がするなあ。うーむ。


 明日はまたまた東京です。


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こままさ