掛川奮闘記

2004年06月12日(土) 040612_キイーボーーードー

【キーボードの修理】
 修理に出していたワイヤレスキーボードが出来たという連絡が入ったので、お店に取りに行く。

 ワイヤレスキーボードはロジテックという会社のものを使っている。ワイヤレスはキーボードを一定の距離以内ならばどこに持って行っても良いので、私のように机の上がぐちゃぐちゃになる者には線に縛られないので都合がよいのである。

 ところがこれが1ヶ月ほど前に調子がおかしくなった。文字を打っていると、勝手に「ー」を打ち続けてくれるのである。文字を打っていると「もーじーをーうーーーーってーーーいーーるーとー…」とこんな感じになってしまうのだ。

 参ったなあと思って買ったお店に行くと、「いつ買われたんでしたっけ?」と訊かれて答えられなかった。保証書も取っていないし。

 すると「店の会員カードはありますか?」と店員さんに言われ、もっていたカードを出すと店員さんはそれをカードリーダーにかけて、「ああ、昨年の12月に買われたんですね。保証期間ですからメーカーに出してみましょう」とあっさりと言ってくれたのだった。

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 「取りに来て下さい」というので取りに行ったのだが、要は不具合を確認したので新しいキーボードと交換しました、ということだった。

 キーボードが新しくきれいになりました(^ー゚)b でも直すより新しいものをくれた方が安いんですね。一番高いのは下手に交換などをする人件費だと言うことだ。そういう時代。

 

【城北小学校講演会】
 午後に、城北小学校の父親の会であるファーザーズという会に招かれてお話しをしてきた。

 話題は子どもの不登校にまつわる苦労と、その結果としての家族観みたいなもので、頂いたお時間は45分ほど。聞いて下さる方たちは30〜40人くらいなものだったので、演壇を用意されてはいたが、下にテーブルを用意してもらってそこでお話しをしました。

 最近この話題については、地元郷土新聞の「窓」欄に一回800文字で三回に亘って書かせてもらっているので、読んだ方もいらっしゃるかも知れないが、行間に書ききれなかったことなども含めてお話しをした。

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 お話しをした後で、校長室で校長先生や教頭先生、それに招いてくれた父親の皆さんと少し懇談をもちました。本当を言うと、この話をネタにしてこれから一杯はいるとさらに突っ込んだ本音で楽しい話になるのですけどね。

 私は単なる話題提供なんだから、これで一緒にビールでも飲みたいところでした。今回は残念ですが、次回はまた呼んで下さいね。

【よさこいソーラン祭】
 この時期北海道、なかでも札幌はよさこいソーラン祭一色に染まっていることだろう。

 このよさこいソーラン祭、元は一人の北大生が仕掛けたイベントだったのが急成長を遂げて、今では北海道の初夏を彩る風物詩になった。いや風物しどころか、一大巨大イベントになったのである。

 ところがこのイベントは急成長しただけあって、新興宗教の黎明期と同じように「良いじゃないか!」と評価する人と、眉をひそめる人に二分しているのである。

 良いじゃないか、という人は、エネルギー発散と、コンテストに上位入賞するという目標があったり、マスコミやお金が動くイベントなのだからと言う理由で肯定的に捉えている人が多いようだ。

 一方で否定的な人は、「うるさいだけ」、「暴走族みたいで怖い」、「単なる金稼ぎ」、「神を祀る祭じゃない」などという理由が多いように思われる。

 好きな人はこの時期、町へ出て見物や参加に燃えるけれど、嫌いな人は布団を被って家からでない、という極端な反応のようだ。


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 木曜日の夜に北大のK先生とお話しをしていて、ある意味否定的な感覚を持つ私として、K先生に「先生はよさこいソーラン祭をどう思いますか?」と訊いてみた。

 すると先生は「うーん、私はねえこう思うんですよ。あの祭はずーっとパフォーマンスを審査していって、最後にその年の一番を決めるわけですよね。そうして優勝が決まったらねえ、その優勝チームが大通りから北海道神宮まで練り歩いて、神宮の境内で『おかげさまで今年優勝できました。ありがとうございました。』って奉納の舞をすればよいと言ってるんですよ」とおっしゃった。

 「それはどういう意味ですか?」
 「好きじゃないと思っている人も多いんだけど、今更無くならないわけでしょ?ならば、無くならないと言うことを前提にして、どう折り合いをつけるかという知恵を出さなきゃいけないのであって、それならば奉納をするといった形で神様と結びつけるという事をすれば良いと思うんですよ」

 うーむ、なるほど。そういう実学的な知恵を出さずに、好きだ嫌いだと言っている程度で思考が止まっているというのはちょっと大人として恥ずかしかったですね。

 世の中のことを「好きだ、嫌いだ」と言って終わっているよりはどうやったらその折り合いをつけるかと言うことを考える。これもまたまちづくりの手法の一つかも知れませんね。K先生は「臨床都市計画」ということを口にされるが、まさに計画だけでなく生きたまちづくりをするには生きた知恵を出して行かなくてはなるまい。それが大人としての生き方なんだろうな。



 ちなみにうちの娘は、「テレビがこの特別番組一色になるからつまんない」というのが反対理由のようでした。うーむ…。
 


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こままさ