掛川奮闘記

2004年06月04日(金) 040604_市政以外の話題

【最近…】
 「最近お父さんの日記は難しいよね」と妻に言われた。なるほど、市行政への思いが深くなればなるほど、「世の中はこういう仕掛けになっているんだよーう」と伝えたいのだが、対象読者によっては難しかったり興味が沸かなかったりするようだ。

 実はこのあたりが実に難しい。市長の演説などを聴いていると、毎回同じ事を繰り返し繰り返し言っていることがある。

 もちろん聴衆は入れ替わり立ち替わりなのだが、こちらは横で聞いていて、同じ話をされると退屈なものだ。そんな話をある元議員さんに話したところ、「僕も同じ事を市長に言ったよ」とのこと。

 「市長はなんて言いましたか?」と訊くと
 「『君は勝手にそう思って、相手によって違う話をするから駄目だ』と言われましたよ」と苦笑する。

 「それはどういうことですか?」
 「市長に言わせると、その時に大事な話なんてそんなに沢山はないだろう、ということみたいですよ。ころころ話を変えると、本当に市にとっての問題課題の実像が、市民には伝わらないんだそうです。『市長さん、その話はもう三回も聞きました』と言われたら、『それは得をした。それくらい聞いたらもう覚えてくれたでしょう』と言うのですよ」

 「でも考えてみればそういうことでしょうかね」
 「以前に聞いたことを覚えていると言うことは、聞いた側もまだ印象にあるということでしょうね。それに市長は毎回レジメを配るしね」

 そうなのだ。毎回その会合のためだけのレジメを作って話をする姿勢はとにかく立派である。

 「最近の政治家がだらしなくなったのは、言葉に頼りすぎるからですよ。後から『え?そんなこと言ったっけ?』なんてな調子では、言葉に重みも何もないよ。だから僕は今の立場について手形を切るつもりで紙で説明内容を配っているんだよ」とは市長から聞いた話。

 私も少しは真似て、講話の時はレジメを配るようにしてみるが、それほど内容に変化をつけられない。このへんが早稲田文学部と北大農学部の差なのかも知れないが。

    ※    ※    ※    ※

 相手の興味などお構いなしにとにかくこちらの問題意識を話す。そのことには私なりの意見もあって、やはり聴衆の興味を惹くようなパフォーマンスも必要なのではないか、というのが私の考えである。

 持ち時間の全てを伝えたいことに費やすか、ある程度の時間は諦めてこちらの話を聞く体勢を作るか、という手法の違いのように思えるが、私だったら後者を選択する。

 いくら良い話をしても、相手が寝ていたのでは伝わらないと思うからだ。だから私が話をするときは、まず聞き手を寝かさないことに気を配る。面白いのは、壇上で話をしていて聴衆が眠くなると頭が下を向くので、会場が真っ黒になるのだ。

 そういうときには、妙に間を取ったり、突拍子もない方向から話を始めて見たり、ジョークで笑わせたり、という手を使う。だから私の講話の時間は常に聴衆との駆け引きの連続である。

 そうやって面白いネタの中にちょいとばかり真剣な話をする。真に伝えたいことを強調する。冗談めかしても、大声で伝える。そうしなければ、話にメリハリがなくて、聞いている側の脳みそがもたないのだ。

 人間を生き物と思えば、生き物の特性に応じた対処の仕方があるはずだ。こちらの一方的な思いはなかなか伝わらないのだ。

 だからこの奮闘記も、難しいことばかり言っているなあ、と思われて読者が離れて行くようでは、いくら良いことを書いても見てもらえなければただの自己満足で終わるだけである。

 読者に媚びない程度にくだけた内容にしつつ、真実を盛り込むことでしか、情報は伝わらないように思う。タンポポの種を見てご覧なさい。あれだけの種を飛ばして全てがタンポポになるわけではない。確率が低ければ数を多くするだけのこと。生き物はそうやって種を広げようとしているのだ。

 私の言葉に反応するのが1%だとしたら、読者100人で一人、1万人で100人ということだ。読者が増えると良いのだが、こればかりはなかなか難しいものだ。

 1日書かずにいると、しびれを切らせて何回もアクセスしてくれる方もいるようで、そういうときのカウンターだけは上がるのですがね(^-^;)。これって反則ですよね。 

 

【弟子の包丁】
 私が主催する掛川蕎麦研究会の弟子が数名、包丁を購入したのが届いた。一丁が1万5千円〜2万円くらいのもので、本格的に鋼と軟鉄による打ち出しの包丁である。

 自分の趣味に関する道具に3万円以上投入すれば、それはもう後へ引き下がらないという意志への一つの試金石になる、と思っている。それだけ出して放っておいてはもったいないと思うからである。

 ちなみに私の蕎麦包丁も信州の信濃町の認定工芸士の方に作ってもらったもので、「本当なら5万円だけど、人の紹介だから半額で良いよ」と2万5千円を払って頂いた代物である。

 やはりマイ包丁を持つかどうかで、真剣みも増すというものだ。それからは少し蕎麦打ちに熱が入ったものである。

 今回、会の事務局長のS君は、「もう一丁買うから、のし棒をつけて」とか、「もう一丁買うから駒板をつけて」と、小出しに粘ってのし棒5本と駒板二枚をせしめていた。もっとも、「そうやって交渉してみたら」とけしかけたのは私だが、まあ良いではないか。

 さて、それぞれマイ包丁を持ったからには早くそれに慣れて、自分の型を見つけ出して欲しいものだ。道に到達点はないから、永遠に歩き続けることになるだろうけれど、止まればそれまで。歩き続ければどこまでもゆける世界だ。

 たかが蕎麦打ち、されど蕎麦打ちである。


 ええっと、次はこね鉢が一個1万7千円でお勧めですけど…。ええ、そりゃもう、これがなくては、蕎麦粉をこねられないじゃないですか。包丁だけあってもねえ…へへへって、別にマージンをいただいているわけではないよ。


 今日は市政の話はなしです。たまにはね。 


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こままさ