掛川奮闘記

2004年05月12日(水) 040512_合成の誤謬(←読める?)

【名古屋へ中部地方整備局を訪ねる】
 市長は春先に一度は名古屋を訪ねて、日頃お世話になっている関係者にお礼やら近況報告をしているので、今日はそのお供というか露払いというか、局長や道路部長、建政部長などとアポを取り付けて、市長と一緒に整備局をお訪ねする。

 我が市と国土交通省では、バイパス整備、バイパスの無料化、第二東名、道の駅、再開発補助事業、公園補助事業、まちづくり交付金…と関係あるお仕事がたくさんあるので、たまにそれらを総括して市長自らが幹部と意見交換をしてくれるのはありがたい。

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 そんなわけで最初は道路部長。道路部長のKさんは昨年秋に本省から来た方だが、北海道出身で北大というところまで私と共通で、内心心やすいのだが考え方は厳しい方である。

 「小松君は北海道開発局だっけ。開発局と道庁は北大が駄目にしてるよなー。みんな学生時代からずーっとなあなあの関係だから、厳しさが足りないんだ」と手厳しい。

 「私は一応そこから手を挙げて修行に来ていますから…」と私。
 「そこまでは良いよ。でも開発局から本省の係長だとか所長だとかで人事交換してるでしょ?半分は返品ですよ」

 「へ、返品〜?」
 「そう、普段厳しい状況で仕事をする鍛えられ方をしていないから、毎晩2時だ、3時だなんていう仕事じゃもたないんだよね」
 相変わらず言い方がきついな、と思いつつ、私も返品されないように気を引き締めるのであった(--;)。

 
 公団の民営化に関しては、「そもそも道路財源の範囲で道路を造る分には国に対して一銭も借金をしていないわけで、そのことを抜きにして不当に悪玉にされているのは残念です」とのこと。
 
 「道路財源をもっと他のところに使わせろ、ということや道路財源を減らすということになると、また問題は別ですがね」とも。安定的な財源がなくては安定的な仕事が出来ないのは当然だ。

 掛川ではまだまだ道路インフラの少なさは目を覆うばかりである。こんな中小地方都市の道路が良くなるのは一体いつの日か。道路不要論を東京で語って欲しくはないものである。

 我が市の「犬道」と言われるような県道をよく見てほしいものですなあ!


【タクシー協会西部地区総会】
 県のタクシー協会は、伊豆、東部、中部、西部という四つの支部に別れているのだが、そのうち西部地区の総会が行われたので、市長に代わって乾杯のご挨拶。

 私からは、「最近、各種の会の会員が減ってきています。会から離れる人の言い分の多くは、『この会に入っていてもメリットがない』という事が理由です。しかし、会というものは、大勢の会員が志を同じくしているということそのものが大事なのであって、会員が減ると言うことは志が減るということなのだと思います。

 もしその会の会員が減ると言うことならば、どういう事を目的とした会で、どういう志を共有できているのか、ということを再度考えることも必要に思います。

 それと、そういう会や組織がしっかりしていたとしても、外部の人たちや社会から閉鎖的と見られたり、自分たちの利益を保護するだけの団体だ、と思われてはこれもマイナスです。会が社会に受け入れられるためには、常に自己改善・自己改革の努力を怠ってはならないと思います。そのためにも常日頃から自分たちへの期待が何であるか、ということを敏感に感じ取らなくてはならないと思います。

 『これで良い』と止まってしまうことなく、前身を続ける組織であることをご期待申し上げます。それでは、県タクシー協会西部地区のますますのご発展と、ご参会の皆様のご健勝・ご多幸を御祈念申し上げまして、乾杯をさせて頂きます。

 かんぱーい!」 …と言う趣旨。

 最近やっと、挨拶が場慣れしてきたような気がします。まさに「習うより慣れろ」です。英語ではこれを、Practice makes perfect と言います。「練習で完璧になる」という直訳です。とにかく何事も練習、すなわち「場数を踏む」ということなのだ。

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 ご来賓の一人として警察署長が見えていて、お隣に座れたのでいろいろとお話しをお伺いすることができた。

 署長さんからの来賓祝辞は、「最近治安が悪化してきたことが国民に大きな不安を与えています。タクシー業界も様々にご協力頂いていることを感謝します」という趣旨のものであった。

 そこで話は外国人犯罪の話になり、外国人犯罪のうち不法入国者が6割以上を占めるということを知った。

 不法入国者が犯罪を犯せば、強制送還になる、という風に考えていたので、「強制送還までして、本国に返すのに日本の国のお金で持ち出すというのはおかしくありませんか?」とお尋ねをしてみた。すると
 「最近は、強制送還はしますが帰国の旅費は本人に請求をするようになりました」とのこと。そうでしょう、そうでしょう。そんなものまで日本人の税金で遣られてはたまりませんからね。

 「しかし助役さん、それだけじゃないんですよ」と署長さん。
 「取り調べで留め置きますとね、食費が一日1200円かかります。これは全部税金です」

 「むむ、なんと…」
 「それから、長くとどめると着ている服も汚れるでしょ?これは警察の署員が洗濯するんですよ」

 「むむむ、なんですと〜」
 「もっと驚くことがありますよ。さらに長くとどめた場合は、二週間に一度は医者の診察を受けさせなくてはならないんです。これも税金です」

 「な、なんちゅう…。それが日本の人権感覚なんですかね」
 「そうなんでしょうねえ…」

 いわゆる人権は大事だとは思うけれど、なにか釈然としないものを感じるのは私だけかなあ。日本の社会は構造改革が必要だというけれど、いろんな意味でものごとをパーフェクトにしようとして頑張ってきたのがこれまでの姿ではある。

 しかしそのことで、一つ一つのことは間違っていなくても、全部を合わせてみると、本当にそれでよいのかなあ、と言うことも多いようだ。これを「合成の誤謬(ごびゅう)」というのだが、世の中にはこういうことが多い。

 単身赴任で栄養が偏っては行けないと思って、穀類と肉と魚と野菜をふんだんに取った結果、カロリーオーバーで太ってしまう、などというのもそんな例。
 一つ一つのことは正しいのだけれど、どこかで全体を見る目が欠けるとこういう事になるのだ。

 世の中の景観の問題もそんな事の一つ。公的施設は極めて高い安全性が求められているために、池に子どもが一人でも落ちようものならば、親の子どもを管理する自己責任よりも公物管理の瑕疵(かし・ミスのこと)が問われるのだ。

 そのために綺麗な池の周りに無粋なネットフェンスがされる例は枚挙にいとまがない。利用者の安全を追究するという事自体は間違っていないのだが、そのことをやりすぎたときに、景観が台無しの池はどれだけの価値を落としていることだろう。

 身の回りの合成の誤謬に気づきますか?そしてそれがどれほど、日本という国を「高上がりな国にしているか」ということに気づくだろうか。そこにこそ、経済特区や地域再生で解決しなくてはならない課題が転がっているんだけどな。


 狭い視野で物を見るのではなく、広い視野で見て価値を判断するということをもっと考えなくてはならないのだ。


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こままさ