| 2004年03月31日(水) |
040331_去る人たちの風景 |
【年度末恒例〜辞令交付の風景】 年度の終わりと始まりの今日明日。公務員にとって恒例の風景は辞令交付である。
自治体の中には人事異動に伴う辞令交付を止めて、口頭での示達に変えてしまったところもあると聞く。このことで辞令に要する紙代と、これにかかり切りになる職員の人件費が節約できるという考えなのだそうだ。
パフォーマンスとしては面白いが、将棋やチェスではないのだから、職員がこれまでの職場を去って新たな挑戦をするという神聖な出会いと別れの気持ちに対する敬意の念がなさすぎるような気もする。これも失われ行く日本人的発想なのか。うーむ、ラストサムライ…。
※ ※ ※ ※
朝一番には市の外への異動にかかる辞令交付。県との人事交流によって我が市へ派遣されていたNさんへは派遣を解く辞令を交付。Nさんの感想としては「掛川の職員のレベルの高さに驚いた。同僚の皆さんには大変良くして頂いて、離れ難くて泣けてきます」という嬉しい言葉。こちらも泣けてきます。一年間ありがとうございました。
また、市職員として県へ派遣する職員が二人、また西部六市という近隣市の間での人事交流として磐田市へ派遣される一人に対して辞令が交付された。「県への派遣」というと、かつてはより上位の仕事の経験とともに人脈形成ということが大きな目的だったように思うのだが、今回の二名の技術職員に関しては、地方分権による権限委譲に関連していずれ降りてくる開発行為の権限に関する事務など、テーマ性を強く持った派遣になると事である。
いずれにしても、他人の釜の飯を食うことは勉強になること請け合いである。しっかり頑張ってきていただきたい。
【退職者への辞令交付】 本日付をもって退職をされる34名の職員に対して辞令が手渡された。長い方で41年、結婚退職というおめでたい退職の方で7年という勤務年数である。
まさに青春から壮年に掛けて人生のほとんどを尽くしてきた市役所勤務を終えた気持ちはいかばかりなものか。まだ私には想像もつかない世界である。
34名という退職者数は例年に比べると多いとのことで、感想を一人ずつ話して頂くのでも、自分の半生を2分にまとめるということは容易ではあるまい。
こうして改めて職員の皆さんを目の前にすると、普段の自分は本庁で部課長を相手に仕事をしているわけだが、一般職員の部課長はもちろんとして幼稚園、保育園の先生、薬剤師、看護師、給食のおばちゃん、清掃工場一筋、消防士、用務員さん…など、市民生活がいかに多くの職種の方と仕事に支えられているか、ということを改めて感慨深く思うのである。
市長からは、「私が七期も市長を続けられたのは皆さんのおかげである。市民は市役所に対する不満があっても職員を首には出来ない。その恨みがあるとすればそれは自らが市政に対して唯一決断できる市長選での選挙結果に他ならない。従って、私が長くやれてきたのも皆さんが市民の不満を解消してきて下さったおかげと信じているものです」という式辞が述べられた。
市議会議長さんからの来賓挨拶では「『大過なく』という言葉の重みをどうぞ大切にして下さい」という言葉があった。
「大過なく」という言葉を、「公務員の消極性の表れ」と嗤う向きもあるが、どうしてどうして、40有余年を大過なく過ごすと言うことは市民にも愛されてきた証とも言えるだろう。そういう能力をこれからの人生にも大いに活かして頂きたいものだ。
また職員の何人もが、時として自らの健康を顧みずに仕事優先の人生となり、健康を害しながら職責を全うした思い出を語ってくれた。これからは自分の健康を優先しながら、見識ある市民として社会に貢献して頂きたいものだ。
※ ※ ※ ※
我が身に振り返ってみると、国の公務員の場合は大抵が2〜3年ごとに引っ越しを伴う転勤を行う。人事異動で職務が後任に引き継がれると、成果も積み残した課題も全て引き継がれるものだ。自分の在籍期間は限られているのだが、一方で中期的な展望もにらみつつ、短期間にできるだけ成果をあげようと頑張るものである。
3年の赴任期間を想定すると、最初の一年は前任者の敷いてくれたレールを走りながら、とにかくそれまでの経緯、歴史、曰く因縁、地理、課題、人脈、一年のルーチンの流れなどを徹底的に覚える。
二年目になると、一年目のルーチンを参考にしつつ、大いに腕をふるってさらに自らの陣地である人脈、知識を拡大して行くものである。
そうして三年目には成果のまとめと次に来る後任へのレールを敷いておく、というパターンである。陸上にたとえると、三千メートル走くらいなもので、ある程度のスピードで突っ走るやり方の連続になるのだ。しかしこの距離だと思えば、スタミナをそれほど温存せずに、この一瞬のレースに全てを掛けるという過ごし方がある。
一方で、小さな市の市役所に勤めると言うことは、どこへ行っても知人と先輩と後輩に囲まれているわけで、ある程度の気楽さとどこへ行っても逃げられはしないという運命との狭間にいることになるのだろう。
家族の引っ越しや、全く未知の世界に飛び込むという不安はないものの、新しい島はいつでも「宝の山かも知れない」という期待もない。どちらがどうこうということではないが、そういう生活の中で力を発揮するシステムに生きているということである。
※ ※ ※ ※
40年とは長いマラソンを走りきったものです。本当にお疲れ様でした。
【退職者との懇談会】 夜は退職者の皆さんとの懇親会。時間が短めで全員とお話をすることもままならなかったのがちょっとだけ残念である。
なかには既に地区の役員をしている方もいて、「助役さん、4月の講話を待ってますから。私が司会をしますんで…」とのこと。 それは心強い。これからも地区の顔役として地域に貢献して下さい。
【ところで】 今日の奮闘記で、昨年4月1日から始まっている「掛川奮闘記」が一周年を無事終えました。 とにかく誤変換が多くて、読者の皆様には大変なご苦労をおかけしました。これからもできるだけ変換ミスはチェックをして行きたいと思います。
こうなると返って帰省したりして、掛川の話題がないことが寂しくなったりもします。新年度も記述が遅れないようにしたいものですが、こればかりはなかなかお約束し切れません。
ほぼ日刊掛川奮闘記、これからもよろしくお願いします。
|