掛川奮闘記

2004年03月21日(日) 040321_桜咲く、から

【昨日に引き続き】
 今日も今日とて、家の中を少し片づけて終わる。なかなか思い立たないとちょっとしたものも捨てられずにどんどんとものが増えてしまう。

 ものが増えると言うことは収納の問題ではなくて、ものが増えることが幸せにつながっていた頃の幻想であることに気づかなくては、家の中の片づけは出来ない。

 「いつかもう一度読む【かも知れない】本」や「いつか見る【かも知れない】参考資料」、それに「思い出の品々」という奴に囲まれて、幸せな不幸せに生きているのだ。

 瓶の底にわずかに残った分量のために捨てられない「ねり梅」に、賞味期限がとっくに切れているにもかかわらず最後の一絞りが使い切れないケチャップ、前回はいつ食べたかも忘れてしまった田楽味噌…。

 あ゛ー、もういい加減にして全部捨ててやろうと、冷蔵庫の中身も大整理。やっと少しすっきりした。

 実際冷蔵庫があるために食品は長持ちするのだが、冷蔵庫で一体どれくらいのものを腐らせているのかと思うと逆にそら恐ろしくもなる。

 一番怖いのは冷凍庫だ。そういえば一年前に妻が来てきれいにラップしてくれた肉がまだ残っていたような気がする。ひええっ、これこそまさに現代の怖い話だ。

 来週は冷凍庫を掃除しようっと…。


【カレー南蛮蕎麦】
 さて、昨晩打った蕎麦がまだ残っているので、これを久しぶりのカレー南蛮蕎麦にして食べることにした。何回かやってレシピはある程度目安が立っているのだが、さらに微妙に分量を変えたときの味わいがどう変わるか、ということを機会があるごとに試行錯誤しておくことは無駄ではない。

 今日は肉なしで、ぶつ切りのネギだけで作ってみたが、確かに美味い。これから先もずっと、美味しいカレー南蛮蕎麦を食べることができるというのは実に幸せなことだ。


【桜咲く】
 静岡では一昨日桜の開花宣言が出された。平年よりも9日も早い開花宣言だそうである。一週間後に家族が掛川に遊びに来るのだが、おそらく満開の桜が迎えてくれることだろう。家族を迎えるために早く咲いてくれるのかな?

    ※    ※    ※    ※

 ところで、ちょっと前のこのコーナーで、娘が大学に合格したときの「桜咲く」を「へー、北海道の桜も早いんだ」と言った友人がいた、というトンチンカンな話を笑ったが、よくよく考えてみると、大学合格のときの表現はその土地に由来するものでなくてはおかしいのではなかろうか、と気づいた。

 合格の際に桜が咲くのは主に西日本が中心であるはずで、関東ですらちょっと早いような気がするくらいである。

 そのことに気づいたのは、先日わが母校北海道大学の農学部同窓会から会報への寄稿を依頼されたときで、「そう言えば、北大の合格、不合格の時の電報の文章はなんだったかな」と思ったからだ。

 私の入試の時にはインターネットやホームページはなかったので、合格発表を掲示板まで見に行かなくてはならなかったのだが、内地の遠くから受験をした学生には合格発表を見に来ることが出来ないために、大学のクラブやサークルの資金稼ぎの一つとして「合格電報」なる商売が行われていたのである。

 これはまさに、受験生が自分の受験番号を託して、合否を連絡してくれるようにお金を払うもので、確か当時で500円だったように記憶している。

 そしてその時の表現が、合格の時は「クラークは君を招く」で、不合格の時は「津軽海峡波高し」だったように記憶しているのである。随分と面白い表現ではある。

 我が愛娘は旭川の大学へ行くことになったので、まさに「桜咲く」ではなくて、「根雪融ける」とか、「川の都に春一番」などの表現の方が良いのではなかろうか。

 逆に不合格の時は「寒波襲来」とか、「忠別川増水」とか「パルプの煙が臭いよー」とかいった表現はどうだろう。なんともローカルな話題だが、他によいものがあったら教えて欲しいものだ。

 縁起をかつぐ言葉一つとっても、先人のユーモアが感じられて、それも時間の積み重ねの中で洗練されたものが残っているものだ。ひょいと思いついたようなものが簡単に生き残れるようなものではない。

 流行の中から時間のフィルターを通過したものが、文化として根付く。

 不易と流行。

 流行そのものに罪があるわけではないのだが、それだけだと軽佻浮薄に感じられるのは、時間の重みを内に秘めていないからで、その分自由であるとも言える。要はバランスの問題。

 「桜咲く」から話が随分と発展するものである。


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こままさ