| 2004年02月01日(日) |
040201_神様からの言葉 |
【朝から蕎麦】 朝から夕べ打った蕎麦を食べる。出汁は夜に取ってあったのでこれにかえしを加えればすぐに蕎麦汁が出来る。
蕎麦も味は美味しいのだが、コシがいまいち弱い。これは全て粉のせいで、昨年の11月に挽いたものを真空パックで保存していたものだが、かなり良好な管理をしていても、やはり味が持つのはせいぜい三ヶ月と言ったところなのだ。
蕎麦屋で直に買うような新鮮な粉ならば、一週間で使いきってしまいたいところである。
【生涯学習推進市民大会】 年に一度、生涯学習を推進するための市民大会である集いが開かれて今日はそれに参加した。一連のセレモニーの後で、政策研究大学院大学の今野雅裕教授から「生涯学習社会は成立するか ー その条件と意味・意義と評価」と題するご講演をいただいた。
子供の学力低下が社会的な関心事となり、それを覆すような各地の様々な取り組みが紹介されているが、有名なところでは広島の蔭山英男先生が実践されて大きな成果をあげてきた「百ます計算」だろう。これは縦10マス、横10マスの百のマスに足し算・引き算・かけ算をさせて毎日タイムを計り記録をつけて早くなるようにひたすら続ける方法である。
これを小学校の時に行っていた子供たちは高校、大学へ進学しても優秀な成績を収めているほか、日常生活が安定していることが知られている。
さらにはこういった計算の他に、声に出す読み書きも効果的なのだがこれは子供だけでなく、高齢者にも極めて有効で、痴呆が進行しなかったり改善したりする例が報告されているという。
これ以外にも、全国各地での様々な生涯学習に関連した施策を紹介して頂いた。わが掛川よりも遙かに進んでいる市も多く、各自治体の大きな行政課題であることも伺えた。
「一生勉強させられちゃ、かなわん」というのが生涯学習を唱え始めた頃の反応だったと言うが、学習も辛いこととして行うのではなく、楽しくやるための工夫や仕掛けも重要なように思う。
学習に強制は出来ないのだから、全ては市民一人一人のやる気にかかっているのだ。そういうやる気がもう少しだけ引き出せたらなあ、と思うのだが、これがまた難しい。
さてさて、全国の例を勉強するとしますか。
【神様からの言葉】 市長が一昨日の金曜日に再び東京へ行って、国土建設の神様と言われたもと官僚に会ってきた。その方は下河辺淳さんと言って、かつて国土庁の事務次官をやられ、三全総、四全総を仕切った役人の中の役人、官僚の中の官僚という人である。
その一週間前の金曜日にも東京へ行った際には、私も市長と一緒に下河辺事務所へ同行させて頂いたのだが、そのときに市長は下河辺先生から「国土行政計画考」という厚さ1.5センチほどの本をいただいた。
それは霞ヶ関の役人たちを集めて下河辺さんから国土行政とは何か、ということを講義した講義録で、これ一冊あれば、日本という国の国土の問題から歴史・経済史を踏まえた国土建設の歴史から、さらにはこれからの我が国のあるべき姿が網羅されているというテキストである。
このテキストが出来ることになったいきさつは、先生自身の前書きに書かれているが、もともとは二年間45回のレクチャーで国土行政全般について語ろうと思い始められたそうだ。
そして、国土構造の歴史、国土行政の歴史、日本列島の構造、国土の創生史、河川管理、道路、都市、住宅行政…などを語ってこられた。しかし、12回目を終えたあたりで高齢のためもはや長時間のレクチャーに耐えられないことを悟り、45回の約束を15回に変えて終了したのだという。
下河辺先生が凄いのは、話した言葉をそのまま活字にしてもほとんど修正がないということだ。我々ならば、発言そのままを文字起こしして見せられるとさぞ修正の山になることだろう。
さて、一昨日再び下河辺先生を訪ねていろいろと意見交換をした後で市長が「そういえば、うちの助役が先週いただいた講義録を読みたいと言っていましたので、もう一冊いただけませんか」とおねだりをしたそうだ。 さらには「ついでに、どうせいただけるのなら助役に対して何か一言書いてやってくれませんか」とこれまた凄いお願いをして下さったのだそうだ。
そうしたところ、下河辺先生は「ああ、いいですよ」と言って、講義録の表紙の裏にさらさらと何か書いて下さった。それを読むと、「2004.1.30 小松正明さん 私は高齢化してしまいました。 あなたはこれからです。期待してます。 下河辺淳」と書かれている。これは素晴らしい宝になった。また同時に技術屋の神様からの言葉でもある。
先生の前書きにはさらに、「行政が意図して作成したプランはやがて結果を生み出すが、意図と結果が素直に繋がるのは稀なことで、いつでも意図と結果は繋がらないのが普通であった…」とある。下河辺先生ですらそうだったのだ。
掛川では様々な人との出会いがあるが、これもまた素晴らしい出会いの一つである。まだご存命のうちに足しげく通ってお話をお伺いしたいものである。
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