掛川奮闘記

2004年01月24日(土) 040124_「楽」をすると…

【三の丸楽市…のはずが】
 朝から街中では「七草粥ウォーク」やら「三の丸楽市」というイベントを行っていたので、見に行く。車を止めようと、街中のサトさんの職場を訪ねたのが運の尽き。
 
 一緒に楽市を見て買い物をしたあとで、事務所でまちづくりについて話し込んでしまい。気がついたらお昼を過ぎていました。街中の対策もなかなかスムースには進んでいないようだ。
 心配だなあ。


【柔道の篠原選手に会う】
 夜に、つま恋で柔道の篠原信一さんの歓迎レセプションに出席をしました。篠原選手はシドニーオリンピックで難しい判定の末、銀メダルとなったのだが、今は母校天理大学で教師をしながら柔道部の監督として後進の指導に当たっている。

 シドニー五輪の柔道では、当時担当していたNHKの有働キャスターが涙で絶句してしばし話が出来なかったのをまだ鮮明に覚えている。彼女やあれで女を上げたものだ。

 今日篠原さんをお迎えしたのは、明日開かれる体育館の開館記念事業としての柔道模範指導と講演会をお願いして来て頂いた事による。

 我が市の体育協会の会長は、実はシドニー五輪に女子ソフトボールの応援で行っていて、篠原選手のお父さんと同じホテルでこの判定についての悔しい思いをお父さんから聞かされたのだそうだ。

 もっとも当の本人に直接そのあたりを伺ってみると、どちらかというと判定が出てしまえば、「仕方ないな。実力が足りなかった」と思うものだそうで、それほど判定に憤懣やるかたなし、ということではなかったそうだ。

 本人よりも回りの方がいつまでも騒ぎ立てて、「もういいかげんにしてくれ」という気持ちが強かったとか。もっとも、「…とは言いながら聖人君子にもなりきれないところありますよ」とは正直な弁でした。

 実際に会ってみると本当に大きいし、握手をしても手が大きいこと。

 これからもますます多くの後輩を育てて欲しいものです。なかなか楽しいひとときでありましたよ。 


【光のカフェの店じまい】
 街中で実施中の「光のオブジェ」を支援しようと、おかみさん会で借りている空き店舗を長い間「光のカフェ」と称するお休み処として週に何日か開店していたのだが、それがいよいよ今年の冬は今日が最後です、というお知らせを受けて、のぞきに行く。

 いつもながらのスローライフのメンバーやまちづくりのメンバーがたむろしていて、またとりとめもない話が始まった。

 なぜ街中の商店街のお店のものが売れないか、という話題から東急ハンズの話になった。
 東急ハンズは単なる日用品ショップの大型店ではないのだ。あのコンセプトは、模型だとか、革細工、料理道具…など多岐に亘る商品コーナーを特定の人間に専属で任せて、お客のニーズのかゆいところに手が届くようなスタッフを置いて商売をする、という点にあるのだ。

 普通のデパートなどであれば、まずは衣料の売り場で経験を積んで、次は外商…などいくつもの場所を経験していつかあがりになる、というパターンが普通なのに対して、東急ハンズではとにかくそこの売り場はその専属スタッフに任せるということから、スタッフが自ら仕入れを吟味したり、品揃えを考えたり、これからの客のニーズを捕まえる方向を一生懸命考えると同時に、客の質問に対するアドバイスが出来るだけの商品知識を持ち合わせて、客と対等の会話が出来る、そういうお店、ということなのだそうだ。

 まさに専門店がビルの中にある、という感じですな。

 そういう専門店になって客のニーズを掴む努力というものを永遠に続けないといけないと思うのだが、商店からそう言う努力が消えたのはいつの頃からだろう。

 お店の人に何か尋ねても「さあ、メーカーに問い合わせてみませんと…」という答えしか返ってこないお店では、消費者は向かわなくなってしまうのではないか。

 キーワードは「楽をするようになったから」ということではないか、というあたりに意見が一致した。

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 今の世の中が議論を余りせず、簡単に法律やきまりを作って事たれりとしているのも、議論を徹底的にせずに楽をしているから、といえなくもない。

 大阪の小学校で乱入した暴漢が子供たちを次から次へと殺傷するという痛ましい事件があったのはまだ記憶に新しいが、それへの対応が日本全国の小学校の門を閉じて不振人物が学校へは入れなくする措置をすること、という通達が文部科学省から出された、ということは、今の日本で議論をする市政がかけているかと言うことを如実に表す事例なのではないか。

 門を閉ざすことで一見安全が確保されて良いように思うかも知れないが、本当に学校をそうやって地域からも隔絶することのデメリットを一体どう考えているのか。また実際、学校側も防犯カメラを誰か先生の一人が営々とチェックして、いつ来るか分からない傍観に備えるなどということが本当に現実的だと思っているのだろうか。

 亡くなった子供たちやその親御さんたちは誠に気の毒なのだけれども、「二度とこういう思いを他の人にもしてほしくない」という素朴な感情が妙に変質して文部科学省がおかしな行動を強制するという形になって行く間に、もう少し議論があって良かったのではないかと思う。学校でも木刀などの撃退用の道具を備えるとかいった対応と、もう一つは隔離するのではなく、もっと地域の人たちが気軽に訪れて目を光らせるような学校と地域との関係を醸成するという手だてではだめなのだろうか。

 そういう通達を流すという点でも議論が足りないし、そう言う議論を社会としてまともに受け止めないと言うことは、とりもなおさずここでも「楽をしている」ということにならないだろうか。
 
 そんなことなどを延々と話し込んで終わったのがまたも夜の12時半。週末なのが唯一の救いではありますが。



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こままさ