掛川奮闘記

2003年10月05日(日) 031005_近江長浜歴史ツアー

【長浜市周辺エクスカーション】
 サミットの翌日は、長浜市周辺のエクスカーション(見学旅行)。

 掛川、高知を始め、各市町からの参加者が三台のバスに分乗して、周辺の名所旧跡を案内してもらう。

 まずは法秀院という一豊のご母堂の墓所をお訪ねする。

 この法秀院さんと一豊が戦乱でこの地に滞在している間に、千代さんを見そめたことで、一豊と千代という夫婦が誕生したのである。

 次は姉川の合戦場。全国統一を目指す信長にとって近江、越前にいる浅井、朝倉軍は、京都と尾張を結ぶ途上にあり、是が非でも滅ぼさなければならない強敵だったのである。

 朝倉義景の上洛拒否を理由に軍を発した信長は、ここ近江国姉川をはさんで浅井・朝倉連合軍と対峙。

 戦闘は元亀元年(1570年)6月28日に開始する。浅井軍先鋒・磯野員昌の猛攻撃により、信長軍は十三段構えを十一段まで破られたが、そこへ横山城の監視将・稲葉一鉄・氏家ト全・安藤範俊ら3千隊が浅井軍の側面を攻撃。

 この攻撃で崩れ立った浅井、朝倉連合軍は北に向かって敗走する。 織田・徳川連合軍は小谷付近まで追走し、この激戦を制したのであった。

 姉川は今では単なる小河川だが、歴史を感じますなあ。

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 続いてはバスの車中から小谷城(おたにじょう)を見る。ここは浅井長政が姉川の合戦で敗れて立てこもった城。立てこもった後に周囲を囲んだが、落とすまでに三年かかったという堅固な城である。

 最後は鉄筋コンクリートによって復元された長浜城で、ここは歴史博物館になっている。

 鉄筋コンクリートによる復元であれば、歴史史実としての絵図面などはいらないんですな。

 それでも中は、なかなか立派な有史以前から戦国までを中心とした歴史博物館になっている。

 まあこれはこれで、立ち寄りポイントとして人気がありそうである。

 我が市にも歴史博物館が欲しいところである。

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 さて、このエクスカーションのご案内役は地元の歴史ボランティアで、この地に嫁いできた農家の主婦だそう。

 ところがこの方の歴史の深いこと深いこと。案内も上手でバスの乗客一同感心すること仕切。

 地元の歴史を勉強しようという強い思いが感じられました。我が市でも、これくらいの歴史ボランティアが欲しいものだ。  

【黒壁のまちづくり】
 引き続き、浄土真宗の大通寺とその参道の商店街を見る。

 この近くは黒壁のまちづくりとして有名なところだが、この商店街も昔ながらの町屋の風情をうまく使ったお店づくりをしている。

 こういう町並みは歩道が狭いのがよい。また道も車道と歩道が分離していないのがよい。

 特にこの日は、アートフェスティバルイン長浜というイベントが行われていて、通りの真ん中に出店が出ていてさらに混雑に拍車をかけていた。

 賑わいがあるというのは良いものだ。こころがうきうきしてくる。

 買わなくても良いものまで買ってしまいそうだ。それが賑わいだ。

【多賀大社】
 お昼をドライブインで食べた後は、多賀大社へお参り。

 多賀大社は古事記で多くの神を生んだ、伊弉諾(イザナギ)尊と伊弉冉(イザナミ)尊の二柱を祀った神社である。

 御利益は夫婦円満。私もお守りを買いました。独身の方には良縁があるとも聞きますよ。

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 これで名所旧跡巡りは終了。あとは一気に掛川へ戻る。

 無事事故もなく戻って参りました。参加された皆さん、お疲れ様でした。


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こままさ