掛川奮闘記

2003年09月29日(月) 030929_川の調査

【部課長会議】
 月曜の朝一番は部課長会議。

 先日オープンした掛川花鳥園は極めて好評で、日曜祝日は4000人以上の来園者で、相当の売り上げを記録しているらしい。

 しかし開園直前は関係者は「これがはずれたらどうしよう」と、眠れない日々だったらしい。それが杞憂で名古屋、浜松からも続々とお客さんが訪れている。

 市長によると「昔の子供は、トリモチを作ってメジロを捕ったりして鳥との関係が近かったが、今の子はそういう経験がないので、余計こういう鳥と触れあう機会が楽しいのではないか」とのこと。

 いろいろな生き物と接する機会を我々は失っていて、接するにしても動物園のような檻の向こうとこちら、という関係になってしまっている。

 花鳥園ではそれらと直に触れられるというのが最大の売りだが、やはりそれが大いに受けるのもよく分かる。

 ときどき上から糞が落ちてくると言うこともあるらしいが、これは本当かな。私はまだ被害に遭っていないのだが。


【倉真地区河川調査】
 倉真の河川が河床下がりをおこしている、というので調査に向かう。

 別に昨日今日の話ではないのだが、対策を取らないとやがて擁壁の基礎が洗われて、ひっくり返りかねないのだ。

 現地の方と待ち合わせをして、川の近くまで寄って見てみると、確かに河床が下がってしまって、昔は水の底にあったであろう擁壁の基礎が水面の上に上がったりしているところもある。

 川岸の樹木も、根が洗われている。昔は水際の土の中にあったのだろうが、今にも倒れそうである。

 河川の河床が下がる原因として一番は、上流からの土砂の供給量が減っていることがあげられるだろう。

 逆に土砂の供給量が多ければ、天井川となって堤防の内側で我々が住んでいる側が堤防の外(堤防のウチ、ソトはこういうことなのよ)の河川の方が高くなるのである。

 土砂の供給が減った原因は、なんと言っても上流に木が生えたことである。

 ある研究者によれば、有史以来現代の日本は山に一番材積のある時代になったのだそうだ。

 それはひとえに里山として山から木を切り出したり、木が育つよりも薪として切っていた時代が、山から木を切り出さない社会になったせいである。

 土砂被害を恐れた植林、あるいは林業の植林のために山は樹木だらけになり、結果として土砂を出さない体質になっているのである。

 そのため川に土砂や石が流れ込まず、いきおい川底の石などは大水の度に下流へ下流へと流されて、河床が下がってしまうのである。

 これを防ぐには、たとえば帯工と言って、階段状の段を作ってしまう工法がある。こうすればその上流部には土砂がたまって河床が一定以上は下がらなくなるのである。

 しかしそうかといって、いくつもいくつもやれるわけでもない。それにお金も掛かる。河川の生態は我々の力よりも遙かに大きな動きを示すのである。

    ※    ※    ※    ※

 川の回りは竹林の連続で、同行の方によると「昔はここいらはみんな小さな田んぼだったのだが、次第に放置されて今では竹がはびこってしまった」とのこと。

 ある人は竹は偉大なる雑草である、と言った。

 本当に目の前がくらくなるほどの竹林である。もはや今日日本にはこういう環境の変化に抵抗するだけの経済力も地域の力も失ったかのようである。

 環境を破壊する、というのは積極的に壊すこと以上に、消極的ながら変化を止めることが出来ないことの方が大きい要素なのだ。
 
 本当に自然を愛する活動家ならば、道路建設に反対する前に、目の前の竹を切って欲しいものである。

 ついぞそういう方にはお目にかかったことがないが。

【上内田地区地区集会】
 風邪気味で、熱っぽくて目がとろんとする。出番もなし。


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こままさ