| 2003年09月18日(木) |
030918_体育館の落成式〜みんな来てね |
【大池公園体育館落成式】 大池公園の体育館がついに落成式を迎えた。
朝一番で、国交省の三人の来客を市役所にお迎えして、まずは市役所のご案内。初めて見る人はみんな驚くのだ。
10時からの式典に併せて、市役所から体育館へ移動する。現地は既に式典参加者で賑わっている。天気も快晴で最高だ。
式典は私のところに上がってきた計画では一番最初にテープカットをしてから式典に臨むということになっていたので、「それは変だろう?」ということで修正させて、式辞と来賓祝辞の後に外でテープカットをするようにしたのだ。
なぜこんな式次第を作ったのか?と担当者に訊いてみると、最近実施された近隣市の体育館の落成式がこのようにされていたからだとか。
役人の前例主義は恐ろしいね。以前に例があると、安心してしまうのだ。
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式典には、東遠定住圏の各首長とその代理が登壇。来賓は、国道交通省から公園課長、柳沢伯夫代議士、榛葉賀津也参議院議員、県議会議員、県出納長などが登壇。
市長からの式辞に続いて、工事報告、来賓ご祝辞をいただいて、式典は無事終了。
続いてのテープカットも無事終わった。やはりテープカットは式典の後のアトラクションですわな。
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さて体育館だが、愛称は「さんりーな」。一般市民用のオープンは10月1日である。25mプールや、バレー4面のアリーナ、弓道場に武道場、トレーニングルームとそれなりの施設が充実している。
夜は21時までなので、5時半くらいに一度仕事を中断してプールで一泳ぎして、それから市役所へ戻って仕事をするという、素晴らしい理想の生活もあるかも知れない。
バドミントンもしたいし、卓球も良いねえ。うー、楽しみだ。
【市内視察〜花鳥園】 国からのお客様を市内案内。まずは、この20日にオープンする直前の「花鳥園」をお訪ねする。開園直前でどたばたの時に訪問して、お世話になりました。
ここは、文字通り花と鳥のテーマパークなのだが、動物園とはちょっと違う。それは直に取りに触れあうことが出来ること。
まずは木造の長屋門という古風な建物だが、こちらは十数種類のフクロウ園になっている。フクロウは目が顔の正面にあるのでよく見ると人間のような表情もあって、愛らしい。
じっと見ているとなにやら知的に見えてくるから不思議だ。
その奥がいよいよ巨大な温室で日本でも最大級と言われる温室である。温室という区分は、一般には農業用施設なので建築確認はいらないのだが、ここは不特定多数の人間が入ると言うことで建築確認が必要、との指導を受けた。しかし、基準がないのでこれまた審査する方も大変だったようだ。
しかも部材もドイツからの直輸入と言うことで、余計大変だったようだ。ご苦労様です。
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温室の方は、天井から鉢に植えられた蔓植物が何百とぶら下げられていて、ジャングルの中にいるよう。おまけに仕切をくぐって行くとつぎのコーナーには世界のスイレンが巨大な水槽にいれられて、今まさに花を咲かせている。
このスイレンの花畑の温室の中には南方の鳥が放し飼いにされているのである。所々に置かれたえさの回りには綺麗な羽の鳥が何羽も群がっている。
えさを食べては天井付近の止まり木に止まって人間を見下ろしている。まさに鳥と花の世界だ。
一番奥のコーナーでは、インコに餌付け体験ができるところもあって、鳥が自分の肩や腕に止まるのだとか。鳥の好きな人にはたまらないかも。
これで料金は大人1050円、子供525円。なんとも消費税分が半端だが…(^-^;)。
この加茂花鳥園は20日の正午に正式オープンです。年間50万人の入れ込みを見込んでいるとか。わが市の観光が栄えるためにも、ご成功をお祈りしておりますよ。
絶対に必見の価値ありだ。これはすごい!
【地区集会〜原谷地区】 夜は原谷地区の地区集会。こちらの皆さんの関心事はなんと言っても、この地区を流れる、原野谷川の水のことである。
地元の皆さんからは、水量を確保するために上流の防災ダムを水溜として上手に利活用して欲しいとか、温泉の塩水が流入するが大丈夫か、とか河床が下がってしまっているが、防げないのか、などといった川に関する質問が相次いだ。
防災ダムはなにしろ防災が主目的なので、操作が簡単に出来ないマニュアルになっているし、県の管理なのでなかなか市からは強く言えないのだ。 昔は防災一辺倒ということになれば、文句は全く言えなかったのだろうが、最近は「それにしても少しは環境に配慮して欲しい」ということくらいは言えるようになったのだ。
それだけ日本が豊かになったのか、それとも防災意識が希薄になったと言うべきか…。ダムはこれから勉強してみます。
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河床が下がるのは、現代の日本の山の環境が樹木だらけになってしまった帰結である。今の日本の山は有史以来およそ最も山に材積がある状態なのである。 かつての日本人は山から燃料や田んぼの肥料として樹木や落ち葉を持ち出して生活していたために、山ははげ山寸前で安定を保つという状態が長く続いていたのである。
ところが昭和三十年代に肥料革命と燃料革命によって、日本人は生活して行く上で山の気に頼らなくなってしまったのだ。
その結果として山が木で覆われるようになり、そのために山から川へ土砂が供給されづらい環境条件になっているのである。
そのために、川の石や土砂はどんどん海へ流されて行くし、それにしても量が不足しているために海浜もやせ細っているのである。
山に木があることが全てでもない。世の中はやはりほどほどが良いのだ。
【一日早かった】 家に帰るとポストに妻からの手紙。中には誕生祝いのカードが。
メールで「手紙が届いたよ」と送ったら「あら、一日早かったか」と残念そうな返事が返ってきた。
どもありがと。明日は誕生日です。
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