| 2003年08月09日(土) |
030809_台風の中でお城と報徳社 |
【台風の中でお城プロジェクト】 お城の誘客数を増やそうという、「お城プロジェクト」を実施している。このために、街中や宿泊業の方、旅行業界、歴史家など多様な人たちを招いて、今のお城に何が欠けているかやどうすれば来客が増えるか、といったことを議論している。
今日は朝から台風が本州を襲い、わが市でも朝から風と雨が強く、暴風雨である。幸いにして、市内には人的な被害がなく台風は去ろうとしているが、相変わらず風雨は収まる気配もなし。
そんななか、今日予定したのは実際にまずはお城とその周辺の歴史ゾーンの現状を見てみましょうという、現地踏査企画。よりによってこんな日に台風が来るとは…。 担当の係長からは、「どうしましょうか、中止にしますか」という電話が入ったが、お願いしているメンバーも忙しい方ばかりなので、強行することにした。頼む、少しは収まって頂戴!
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…願いはむなしく、いよいよ風雨が強まる中、お城のそばの物産展に11時に集合。
全員傘はもちろんだが、私の場合はさらに上下のカッパと特長靴。この特長靴も冬用なので、今履くには少々暑いし、履いたり脱いだりするのが面倒なのだが、背に腹は代えられない。
しかしこれが正解。それくらいすごい雨と風なのだ。
まずはお城へ行く。ここでは一番上の階で、シルバー人材センターから派遣されている方が三人交代で解説をして下さる。
本当はそこまでの要求はしていないのだろうが、訪れるお客さんへのニーズを考えると、「全然知りません」では通じないのだろう。
この日は帯金さんという方が解説をして下さったが、どうしてどうして、なかなか面白くて、山内一豊などに関する興味深い話をたくさん教えて下さった。
たとえば、山内一豊をなんと読むか。普通は「やまのうちかずとよ」と呼んでいるが、本当は「やまうち」らしい。高知の山内家の子孫の方は自分たちを「やまうち」と言っているのが何よりの証拠。
これを「やまのうち」と呼ぶようになったのは司馬遼太郎さんの影響が大きい、と言う人もいるが真偽のほどは定かではない。
また「一豊」のほうも、「かつとよ」だという説があるとか。当時の武士で名前に「一」がつくと普通は「かつ」と呼んだという。また当時の日本語では表記に濁点を付けないので「かつ」と「かづ」の区別は古文書からはつかないのである。
もしかしたら「やまうちかつとよ」だったかも知れないのだが、聞き慣れないとなんだか格好悪いですな。
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また、当時のお城の範囲はかなり広くて、当時の東海道はお城の敷地の中を通っていたのだそう。そのため、店や宿場もお城の中にあると言う形をとったらしい。
そんなわけで城下の民もお城の中の宿場と言うことで、いろいろと城主には気を使って、当時の宿場には珍しくお女郎さんのいない宿場だったのだとか。
そのためあまり面白みもなかったと見えて、東海道中膝栗毛の中では弥次さん喜多さんも、一つ手前の日坂宿ではエピソードを残しているが、掛川の宿には一言も触れていないのだとか。
昔から真面目だったんですなあ。そんなことを教えてもらいながら、こういうネタをどうやったらさらに面白くできるか、ということを考えながらお城を後にした。
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次に向かったのはお城のすぐ近くにある報徳社の建物。きょうはこちらを案内して下さるようにお願いをしてあったので、まずは講堂に通される。
報徳社の講堂へ入るのは私自身今回が初めて。わが市のホームページによると、「報徳社の発展と報徳運動の中心としてのシンボル的な意味も含めて、約半年で1万円以上を集めた寄付金により公会堂とし、明治36年(1903)4月5日、木造2階建て、日本瓦葺き入母屋造りにて建築された」とのこと。
現在老朽化が激しくて、耐震性も問題あり。なんとか国の文化財に指定してもらって、修復費用などを算段できないかと市長は走り回っている。
修復には4億円程かかると言われているが、報徳社のほうでなんとかこれまでに二億円を集めたという。行政への期待は大きいものがあるが、これはこれで市財政とすれば大きな話である。
しかし、こういう歴史的な建物が折角あるのに活用されずにいるというのもなんとももったいない限りである。
今回のプロジェクトはお城の誘客対策ということが主眼なのだが、これらも含めた歴史ゾーン全体としての誘客も考えた方がよいかも知れない。
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視察を終えてから、物産館の二階のレストランで意見交換。
やはり報徳社に話が及び、なんとか生かしたい、という声多数。また昔お城の建てられた場所にあった観音様をなんとかどこかこのあたりに戻したい、と言う声もあった。
やはり宗教的なものはお客さんを呼べると言えるだろう。
またここで、集客方策を市民から募集しようと言うことで、その要項も議論した。やはり一部の人間だけで決めてしまうのではなくて、多くの市民のアイディアをいただいた方が良かろう。
優秀賞には賞品も用意されるので、たくさんの人に関心を持ってもらいたいものである。
【蕎麦粉入手】 頼んであった、更科粉が手に入った。これでまた茶そばなどの変わり蕎麦にチャレンジできるというものである。
それにしても、蕎麦粉が駄目になるときというのは、同じ水の量でもべたべたして妙な粘りけが出るものだと知った。
やはり蕎麦粉は新しいに限る。もっとも、さっさと打ってしまえばよいのだが。
もっとたくさん注文をもらわないとなあ。
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