掛川奮闘記

2003年08月06日(水) 030806_報徳で北海道を変える

【出張三日目〜長沼から空港へ】
 朝から長沼町へ向かい、「道の駅」を視察する。ここは全道で「一番もう一度行きたい道の駅」に選ばれたのだという。

 地域の農産物を上手に売っていることでも評判なのである。

 そもそもこの町との出会いは、かつて北海道開発局でオートキャンプ場ネットワークづくりと「道の駅」を担当していたときに、良質な全道オートキャンプ場を全道に先駆けていち早く作ってくれて、北海道におけるオートキャンプ場づくりの先駆けとなった町なのである。

 今回の視察に併せて、その当時お世話になったKさんにお会いしたいものだ、と思い、事務局を通じて申し入れをしてもらっていたのだが、先方の方は、「掛川の助役がなんで私に会いたいのか分からんなあ」と今朝まで思っていたとか。

 今朝やっと、「あの小松さんか?」と思い出したとか。役場で実際にお会いしてがっちり握手。確かに変な形でお会いするものですなあ。でも元気そうで良かった。

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 道の駅のお話を一通り伺ってあと、Kさんの活躍している健康福祉施設を見学し、道の駅へと向かう。

 実際には長沼町の道の駅は、前だけは上手に作られているが、裏へ回ってみると結構安普請に作られている。

 こういうところに余計なお金をかけないことも、成功のための秘訣なのかも知れないね。

 またここは、札幌から丁度1時間くらいの位置にあり、大都市や目的地から遠からず近からずという立地でも恵まれている、と言える。

 道の駅も立地の要素がかなり効いてくる事業形態だから、そう言う意味でも幸運であった。恵まれた土地柄はどこまでも恵まれていて、恵まれていないところはその逆になるのだ。
 
 わが市も恵まれた方だと思うよ。あとはそのポテンシャルをどう生かすか、ですな。

 長沼町視察を終えて、視察団対ご一行様を新千歳空港で見送った後には再び札幌市内へ。

 今日はこれからたくさんの人に会うのだ。

【北海道報徳社】
 まずは駅前のビルに入っている、北海道報徳社をお訪ねする。かねてより市長から、「助役さんも北海道出身だったら、北海道の農業や水産業が報徳の精神で振興してきた、ということを覚えておくのが良いよ」と言われ、そのうち機会を見て北海道の報徳社を訪ねてみたいものだ、と思っていたのである。

 なにしろ、札幌開拓の鍬入れは、大友亀太郎が大友堀と呼ばれる水運のための水路を造ったことに始まると言われていて、この大友亀太郎こそ小田原生まれで報徳の思想を持って開拓に着手した、いわば札幌の恩人なのである。
 この大友堀の一部は今でも創生川として残っているが、今では舟運としての役割は全くなくなり、治水上の位置づけになってしまった。

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 さて、お訪ねしてみると、共済ビルの三階の一室を借りて、ここで事務局長一人と事務の女性が一人という二人っきりで運営している、質素なものであった。

 この時間で面会の約束をいただいていたが、「静岡から来ました」と告げると、すぐにうち解けてお話を聞かせてくれた。

 北海道報徳社はこちらと違って、社団法人ではなく財団法人として運営されているのだそう。戦後の人心が疲弊していたときに、農民の心を立て直すために設立され、それには当時のホクレン社長小林篤一氏が奔走して設立にこぎ着けたのだそうである。

 現在でも、ホクレンや農協、信漁連などからの負担金をいただきつつ基金の運用で事業をしていると言うことだが、昨今の低金利であるために、基金を取り崩しているのが現状だとか。

 もう少し頑張らなくてはいけないなあ。

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 「事業として何をしていますか」と私から質問をした。
 「年に数回、講演会を頼まれて農業者達の前で報徳思想を語って伝えています」

 「最近は何を教えて欲しい、と思っているのでしょうか」
 「ここのところ、『分度』とういことを教えてあげて欲しい、とよく言われますよ」

 「へえ、『推譲』ではないのですね。それはなぜですか」
 「最近の農業者達は、所得が上がるどころが下がっているのに、生活水準を下げようとしない人が多いのだそうです。当然借金が増えたり、経済的に行き詰まる人も出ているのです。そこで、分をわきまえた生活をせよ、ということを教えて欲しい、と言うのです」

 「はあ、なるほど。今でも報徳思想は地域に根付いていますか」
 「やはり年齢が上がってきています。60過ぎの人ばかりになってしまい、50代以下では知らない人の方がはるかに多いでしょう」

 負担金を支払ってくれる団体も先細り気味だという。こういう教えをもち、北海道を再興したいものである。

 頑張れ北海道報徳社。


【故郷北海道開発局】
 北海道報徳社の後は、わがふるさとである北海道開発局をお訪ねする。ここで局長と10分ほど会う約束をいただいたいたのである。

 時間に間に合うように秘書室を訪ねて、局長に会う。今の局長とは、東京で勤務されていたときに時々訪問していたが、まさかこうして局長としてお会いすることになるとは思わなかった。

 相変わらず優しく迎えてくれて、近況報告をする。近況報告の中身は「報徳の教え」で、ここでも「報徳で道民の心を立て直すことが必要です」と一席ぶつ。

 局長の方も「いい話を聞いたなあ。よし、それじゃこちらも」と言って、一枚のパンフレットを取り出した。

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 「小松君は伊勢の赤福を知ってる?」
 「知っています。伊勢のおみやげと言えば赤福ですよね」

 「赤福はねえ、その単品で年間に85億円の売り上げがあるそうです。でもその原材料の餅米と小豆は全部北海道から行っているんだ。」
 「それは知りませんでした」

 「原材料の餅米が10億円で、小豆が10億円なんだって」
 「すると…、残りの65億円というのは…」

 「そう、それは赤福のブランド料というわけ」
 「しかし、そのブランドというものを手に入れるのは並大抵ではありませんよね」

 「そうなんだ。でも北海道の人は赤福がどれくらいすごいお菓子かと言うことも知らないんだ。それもそのはず、賞味期限の関係で、北海道には届かないんだ」
 「なるほどねえ」

 「そこでそんなことを伝えるパンフレットをつくって、自分たちの意識を高めようと思ってね」
 「頑張って下さい」

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 北海道が支えている日本中の食材は決して少なくない。原材料供給基地だけでなく、是非ともブランドを仕立てて欲しいものである。

 ところで、蕎麦がパンフに入っていませんね、と訊くと、局長は「それは、実際の国内消費の8割が外国産の蕎麦粉だから、あまり訴えるものが弱かったのさ」とのこと。

 うーむ、もっと国内産の蕎麦粉を売り出したいものだ。 
 
【再びスナックにて】
 夜に再び、昨夜訪れたスナックで、かつての知人のSさんと会った。あらかじめ電話で連絡しておいたのだ。

 Sさんは今や札響の幹部としてその建て直しに奔走しているのだそうだ。札響は財団法人として運営されているのだが、最近の低金利もあったり、活動も減ったりして稼ぐ以上に赤字が出て、昨年は年間で一億円以上の赤字となり、取り崩してしのいでいた基金も残りが6千万円ほどになって、さらには累積の赤字も数億円になっているのだそうである。

 Sさんはここで豪腕をふるって、まずクラシック変調だった演奏に、ボストンポップスオーケストラを真似て、札響ポップスオーケストラをやらせようとしたのだそう。

 最初は楽団員の8割が反対であったのを、一人一人口説いて、最後には反対者を1割ほどにして、やってみたところこれが大受けで、やるたびに稼ぎがどんどん増えるのだそう。

 「要はさ、やる気がなかったんだよな。自分たちで、今年も赤字だったら解散で職を失うんだ、ということを自覚したんだな」
 
 「それにさ、言ってやったんだよ。『プロなら自分の追っかけを100人くらい作れ!』ってな。そうしたら、楽団員は80人いるんだから、毎回8000人は客が来るわけだ。定員2000人のキタラなんてあっという間に満員になるはずだろうさ。それがならないというのは、プロとしての自覚がたりんのさ」

 「楽団員もプロなら、こちらも相手はプロにしなくちゃならん。歩き方を教えるプロ、紹介写真もプロにやらせて、よく見える写真を撮って売り出し作戦だ。そうすりゃやる気も変わる」

 「小松君よ。改革をするときに、目先の敵にまともにぶつかって消耗戦をするというのは得じゃないぜ。目先の敵は味方にするんだ。そうすれば一緒になって次の敵を相手にできる。これが一番労が少なくて、前に行ける。そういう方法を考えてみろよ」

 …と言葉は悪いが、やる気と実際の成果を次々に教えてくれた。札響は昨年度が一億円以上の赤字だったのに、今年は今のところで数千万円の黒字だそうである。昨年まではなにをやっていたんだろう。大赤字が大黒字に転換である。

 やはりここでも、皆のやる気を引き出すことが一番の改革のエネルギーなのだ。それでいてそれが実に難しいんだけどね。

 久々に、元気の出る話を聞いた。やはり古い知人はよい。

 


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こままさ