| 2003年07月31日(木) |
030731_神社総代会で講話。気分すっきり |
【神社総代会で講話】 神社総代会の総会に招かれて、記念講話を行う。普段から「神社大好き」を宣言している神社フリークのこの私だが、改めて神社にまつわる活動を一生懸命行っている皆さんを前にしてのお話になると緊張するものである。
今日のお話は、わが市を取り巻く合併の最新情報と、私的神社体験のお話。
「神社は心の灯台です」とは私の作ったキャッチフレーズである。転勤生活を生業とする私のような者にとって神社は、まさに地域の心の灯台である。
それは、一つには、地域の神社へお参りすることで神社の印象と地区名が結びついて、地区の位置や名称を覚えるのに役に立つということがある。
また二つ目として、どのような縁起をもった神社がそこにあるかと言うことを調べて行くと、地域の歴史などが明らかになってくるために、やはり地域を理解する上で便利この上ないのである。
三つ目には、初めての土地へ行って神社へお参りすると、この世を「天と地」に分けたとして天には挨拶が終わり、あとは地の人間への挨拶を一人一人進めて行けばよいと考えれば気が楽になることがあげられる。
この世のもう半分以上に挨拶してあるのだから、過半数は抑えたというものである。そういう考え方で気楽に転勤生活を楽しめばよいというものである。
※ ※ ※ ※ 最近は、若い人を見ていると神社のお参りの作法もよく分からない人も多く、残念な限りである。
もっとも、神社のお参りの仕方などは教科書には書かれていないので、だれか教えてくれる人でもいないとなかなか覚える機会もないのも事実である。
それにしても、創始者もいなければ何かをしなくてはならないという協議もなし、そして「信じよ」という説教を説くものもいない。それなのに日本人の何千万人という国民が神社へ行って手を合わせるという光景はどう考えればよいのだろうか、と思う。
神道は宗教ではなくて、もともとの日本人のメンタリティだから、自然に畏れるべきものに手を合わせるという考え方が身に付いているのだ、と言う人もいる。
いずれにしても、人知を超えた恐るべきものへの畏怖の念を感じて手を合わせるという自然な心があれば、犯罪など起こさない人間になると思うのだけれどなあ。
今日も神様の話が思いっきりできて、さわやかになったのである。
【合併協議会幹事会】 次回の合併の協議会にあげるべき議題について意見調整をする幹事会が開催された。
今回あたりから、税金をどうするかなどといった少々生々しい話が増えてきて、幹事会の意見も割れる場面が多くなりそうである。
今日はそんななかで入湯税の取り扱いをどうするかや、都市計画税の取り扱いをどうするかといった話題で意見交換をしたのだが、やはり意見が分かれてなかなか収拾しない場面が見られた。
これくらいの議題でふうふう言っているようでは先が思いやられるが、とにかくこうして一つずつの議題に結論を出して行かなくてはならないのだ。これからはいよいよ大変になる予感。うーむ。
【ひたすら会議】 合併の会議を含めて、打ち合わせが夜の10時まで一気に続いた。さすがにややお疲れ気味。
明日は東京出張で、夜は最終便で札幌へ向かう。札幌では息抜きになるのかなあ。
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