| 2003年07月30日(水) |
030730_信州南下の旅 |
【松本市長を表敬訪問】 朝一番で、市長と東大の家田先生らと一緒に、松本市の有賀市長を表敬訪問する。
有賀市長はこれから東京へ向かうとかで、30分ほどの会談だったが、うちの市長がさかんに塩の道について話そうとするのに、有賀市長は市内に作った美術館とそこで日展巡回展をやっている話に振ろうとする。
一瞬の隙をついてまた塩の道に話を戻すと、その一瞬の間隙をついて美術館の話をする。
「いやあ、名物市長が二人集まるとああなるもんなんだねえ!おもしろいなあ!」とは家田先生の弁。同席していた私も、そう言われてみると確かにそんなやりとりであった。
「俺が、俺が」もたまには大事だな。積極的でなければつとまらない場面があるのだ。
【塩の道戦略会議】 塩の道戦略会議は、以前にこの塩の道会議の顧問をして頂いた渡辺貴介先生から、「塩の道を発展させるために戦略会議をしよう」と言われていたのだが、渡辺先生が急逝されたことでどたばたして果たせずにいたのである。
今回初めて幹事市を集めて戦略会議を行えた。戦略会議では、塩の道の発展に向けた課題や展望などについて、事務局がとりまとめた考え方を披露して、市長、家田先生それに旅の本をたくさん出されている亀井千歩子先生の三人がいろいろとアドバイスをしてくださり、さらに参加市町村からの発言なども受けて、現状や今後への展望を議論した。
展望や可能性などは、それなりに答えを出すこともできるのだが、なんと言っても予算と支える人材が乏しいのが恨み節である。
この会議も今年が9回目になる。こういう運動を続けてなにか世の中に訴えるものがでてこないかなあ。
【塩の道を車で南下してみる】 松本を2時頃に出発して、実際に塩の道を車で走ってみようと言うことにした。
家田先生も交通工学が専門で、道路のことは詳しいはずなのだが、「この道はなかなか走れないからねえ」とお誘いに乗って下さって、ワゴン車一台に、市長、私、家田先生、担当部課長などが乗って、道路を南下する。
最初は松本から掛川までの全部を塩の道のとおりに走ってみようと思ったのだが、あまりに時間がかかりそうなので、飯田までは高速道路を走り、そこから東へ移動して、三遠南信自動車道の一部である橋やトンネルを通って、上村へ入る。
途中で休憩もしなかったのだが、市長から「上村役場で休ませてもらおう」と言われ、上村村長へ車の中から電話しながら役場へ向かう。
※ ※ ※ ※
上村は人口が800人を切って、777人になったのだそう。この村で職員数は30人、議員の数は10人だそうである。
この村では昨年、わが市民が山道でスリップ事故を起こして谷へ転落して6人がなくなるという災難があって、その際にはこの役場の皆さんに随分とお世話になったのである。 「そう言えば昨年は、うちの市民の事故でお世話になりました」と市長がお礼を述べた。 ※ ※ ※ ※
この村には、下栗の里という標高800〜1000mの斜面に雑穀畑などをつくって生活している集落があるのである。ものすごい風景で、私は「日本のチベットのようですね」と言ったが、パンフレットなどには「日本のチロル」と書かれていた。
なるほど、チベットよりはチロルの方がイメージがよいのだな。失礼しました。
ここから見ると、南アルプスの3000m級の山々が遠くに峰を連ねている景色が素晴らしいのだそうである。一度は行って、実際にその美しさを眺めてみたいものである。
また、この村には霜月祭りという、両部神道の流れをくんだ伝統ある祭りが無形文化財として残されている。
この村も、今の合併の動きの中で飯田市との合併を望み、それを進めていると聞いた。
人口800人の自治体という姿を想像できるだろうか。これが日本の山村の姿の一つなのだ。合併で、祭りや名前が消えることをノスタルジーを片づけるのは簡単だが、こういう姿を見せられると、やはり考えさせられるものがあるなあ。
※ ※ ※ ※
あとは道路をひた走り、兵越峠から静岡県へ入り、水窪〜佐久間〜天竜〜掛川へと戻ってきた。
家田先生には無事8時前の新幹線に乗って頂くことができた。それにしてもすごい道だ。日本は広い。
|