掛川奮闘記

2003年07月24日(木) 030724_千歳市視察〜帰路

【朝、人と会う】
 札幌最後の夜は、一行から離れて自宅へ泊まる。

 前日に、同行のMさんが「朝早くにあなたの家のすぐ近くに住んでいる知人に会いに行くから、その帰りに拾っていってあげるよ」と言って下さったので、家で待っていた。

 あまりに連絡が遅いので、「なくなったのかな」と思い、まさに車を走らせようとしたときに電話が来て、「今から行くから」とのこと。

 無事近くのコンビニ前で会うことができました。Mさんが会ったお友達というのは、元新日鐵の北海道支店長だった方だとかで、驚きは私の家も所属している町内会の役をやっているかただという。

 私は普段いませんが、妻と我が家をよろしくお願いします。

【千歳市へ向かう】
 バスはホテルを出発して千歳市へ向かう。

 千歳市は、北海道最大の札幌市と、太平洋側の港湾都市である苫小牧市の中間にあって、人口は九万人でわが市と少ししか違わないのだが、市域には支笏洞爺国立公園の支笏湖をすっぽりと納め、さらには恵庭岳、風不死岳、オコタンペ湖なども入ってしまうという広さを誇り、面積は約595平方キロメートルで、わが市の四倍以上である。
 すごいねまったく。

 さらには、空港719ヘクタールと基地4,910ヘクタールがあって、市街地を包むように位置している。これはこれでかなり都市開発の制約条件になっているようだ。

 千歳市では、主に企業誘致の取り組みを伺う。千歳市は、かなり以前から工業団地と住宅団地の開発を初めて素晴らしい成果をあげてきた市なのである。

 人口九万人という事だが、この三分の一は自衛隊関係者で、同じく三分の一が市内の企業関係の従業員およびその家族だという。

 特に、初期に誘致をしたキリンなどのビール会社や半導体集積回路などが工業出荷額に寄与していて、道内でも指折りの工業都市の趣がある。

 千歳空港は年間乗降客数が1、900万人だそうで、これは羽田空港の年間5,500万人に次いで国内二位の位置である。

 ちなみに成田空港は年間79万人ということなので、いかに貧弱な空港かよく分かるというものである。

 千歳市も、これまでずっと成功を収めてきたのだが、新千歳空港になるころに始めた臨空工業団地構想が、バブル崩壊でなかなかものにならず、苦労しているようだ。

 こういう投資は、うまくいけば市の財政力アップに貢献するものの、一度失敗すれば、負債となってじわじわと財政を苦しめることになる。

 とりあえずは土地開発公社が経営しているために、直接的な予算上の影響はないというが、やはり売れ残りが続けば好ましくないことは同じであろう。

    ※    ※    ※    ※

 それにつけても、こうしてみると都市のポテンシャルというのは様々で、ポテンシャルの高い町はどんどん発展するし、なすすべのない悲しい町も多いに違いない。

 神様は長い目ではえこひいきをしていないのかも知れないが、我々の一生は短いので、市の経営が落ち込んでいるところを引き戻すというのは、なかなか容易ではない。

 千歳市の悩みは、年間1900万人という空港の利用客が、千歳市には全く恩恵を授けずにただ通り過ぎていると言うことだという。

 確かにこれだけの通過客の1%でも振り向かせることができれば、19万人という交流人口なのだからものすごいものである。

 しかし我が身に照らしても、千歳市に用事があるわけではないのでどうしても通過という形になってしまう。

 上手に工夫する余地のある、そう言う意味ではまだまだ開拓の余地のある部分かも知れませんね。ますますの発展をお祈りします。

【帰路】
 あとは、羽田空港〜東京駅〜(新幹線)〜掛川というルートをひたすら帰ってくるのみ。

 大人ばかりとはいえ、10人がぞろぞろと移動するというのもなかなか大変である。視察の船頭をしてくれた担当職員にも感謝するのみ。無事に帰ってきたのがなによりですな。
 


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こままさ