| 2003年06月29日(日) |
030629_オーベルジュにて蕎麦打ち |
【エコ・キッズ〜ホトケドジョウはいずこ?】 朝からエコ・キッズという自然環境探索会に誘われて、市内の自然観察に向かう。
今日のお目当ては、スジヒトツバと呼ばれるシダの仲間と、ホトケドジョウを見ることである。
朝から天気は快晴で、日差しが強くとにかく暑い。市内のコンビニで集合してから、まずはスジヒトツバを見に行く。
スジヒトツバは、奄美大島などの南方にはいくらでもある普通のシダなのだが、南方から北では我が県でだけ発見されるという隔離分布をしている点が面白いらしい。
市内の自然観察家のO先生に連れられて、お茶畑を通って沢筋をどんどん上流へ向かって探索する。やがて沢筋の斜面が垂直の壁のようになってゆく。これがこのあたりの特徴的な地形で、狭い沢に入って行くと壁がまるで屏風のように垂直に立っている。
スジヒトツバはそんな水気のたっぷりあって、風のないところにひっそりとあった。教えられるままに見てみたが、よほどそのような曰く因縁を教えられない限りは見過ごしてしまう存在である。しかし、このような地形の中を歩くというのも貴重な経験であった。
林の中では三光鳥が「月・日・星(トゥキ・ヒ・ホヒ)・トゥイ・トゥイ・トゥイ」と鳴いていた。そう聞こえると教えられると本当にそう聞こえてしまうのが不思議である。
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続いてはホトケドジョウを探しに、田んぼの畦や用水を探し回る。タモを繰り出して魚の影を捕まえるが、銀ブナやブラックバスが多い。ブラックバスが農業用水にまでいるのは驚きである。
さらに場所を変えてドジョウを探して歩く。こちらは田んぼの用水を探しては「なかなかいないなあ…」と思っていたのだが、最後に探した用水には結構たくさんいて、「なんだこっちに移動していたのか」と納得。
産卵の時には田んぼのなかに移動して、その後はまた用水のほうに戻っていたらしい。ホトケドジョウはふつうのドジョウよりも頭が丸くて特徴的である。
しかしこうして環境のさまざまな姿を実地に見て歩くとやはり環境の多様さが失われて行くことを痛感せずにはいられない。
問題なのはそれでいて、誰がこれを壊しているという犯人が簡単には特定できないことである。強いて言えば、現代の我々自身が環境の多様さを維持するだけの力がもはやない、ということなのだと思う。
現代人の多くが農業から離れ、周辺環境に生業として関わらなくなったことがそもそもの原因だし、そのために農業環境すら維持することができなくなっている。そしてそのことを都会人は軽い気持ちで批判することも多いけれど、従事者が少ない中では、草刈り一つだって満足にやり仰せるものではない。 ボランティアでいくらかは協力できたとしても、そもそもそれでカバーできるだけの労働力にはならないということだ。公共事業などで、ミチゲーションや環境に優しいことを売り文句にした事業もあるけれど、本質はそんなところにはないことを我々は理解すべきである。
公共事業が改変するかもしれない環境などよりも、もっと大きな時代の流れやうねりを実感しなくてはならないだろう。それらを守るのにいくばくかのお金と労働力を提供する覚悟を国民一人一人が持たない限り、問題の解決にはならないのだ。遠くの米を安さだけで判断して買うのではなく、近くの田んぼで環境を考えた農業からできる米を買うだけの覚悟が我々にあるか。 問題はそこなのだけれど…。
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エコキッズとは、環境と子供を合わせた言葉だが、今日の参加者は私を含めて大人が5人に、女の子が一人だった。
子供が環境に触れると言うよりは、長靴を履いて用水の中をじゃぶじゃぶ入って魚を探す様は、大人が子供(キッズ)に返る瞬間なのかも知れないな、と思った。オールド・エコ・キッズに改名しますかねえ? お付き合い頂いた皆さん、ありがとうございました。
【オーベルジュにて】 夕方に掛けては、市内の知人宅で蕎麦打ちパーティを行った。昨年のスローライフイベントで大変お世話になったIさん宅だが、ある人がふざけ半分に「このIさん宅は「オーベルジュと呼ぶに相応しい!」などと言ったことから、この家は「オーベルジュ」と呼ばれている。
「オーベルジュ」とはフランス語で「レストラン付き旅籠」という意味らしく、大きな家にご夫婦で二人きりの生活では部屋も余っていようし、食べて飲んで語って泊まるというのには絶好の基地となっている。
今回は特に、市内の一流企業に勤める方でやはり蕎麦を打つ、という方がご一緒だというので、緊張しながら道具を用意して向かった。
オーベルジュは噂通りの大きな家で、今回は7人が招待されて、これにIさんご夫婦の全部で九名でのパーティとなった。奥さんの手作りの料理が振る舞われて舌鼓を打つ。
私も車で乗り込んだのだが、美味しいお酒の誘惑に勝てず、帰りは後輩に送ってもらうように頼んで飲んでしまった。
やがて蕎麦打ち披露。蕎麦打ちは初めて見る、という人も多く(そりゃそうだろ)、ギャラリーに囲まれながらの蕎麦打ちとなった。今日は一緒の通称トミーさんが田舎蕎麦を打つというので、私の方は更科蕎麦を打つことにした。
一応何とか打ち上げて、事なきをえる。汁も自慢の逸品の自信作。
トミーさんの田舎蕎麦も美味しく、全員で腹一杯蕎麦を食べて満足満足。まあそこそこの出来で良かった。
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一通り食べるものを食べてからは少しだけ真面目なまちづくりの議論も始まった。酒が入ると下も滑らかなのだが、車の運転のために飲めない人にはちょっと辛かったかな。
中の一人が、山奥で6軒の集落に住んでいて、小学校六年間の内に、一軒また一軒と家が市街地に越して行き、とうとう自分たちだけになってしまったという経験談を語ってくれた。そんな集落の変化がわずか数年間の内に起きてしまうのが、過疎の集落の実態で、街中が廃れたと言ったところで、それほどの急激な変化があるだろうか、という問いに、答えは見いだせない。 街中のいろいろな事業についても、やはり地元の人たちの参加と自覚と覚悟がなければ、何事もなし仰せないだろと言う直感は働くが、それではさりとて自分自身に何ができるだろうかと問われれば返す言葉はない。
一歩一歩、街中と周辺市民の皆さんの認知と参加を深めて行くしかないのだろう。これも難しい話なのだ。
でも議論しながらまえに進んで行かなきゃね。
オーベルジュのIさん、奥さん、どうもお世話になりました。
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