| 2003年06月28日(土) |
030628_千羽の清掃工場に感謝 |
【やっと掃除】 一週間ぶりの掃除・洗濯。一週間掃除をしないでいると、汚れというよりも書類やら手紙やらなんだかんだで部屋中がごった返してしまうのだ。
掃除をしながら鰹節を削り、明日の蕎麦用の出汁を取る。あー忙しい、忙しい。
【ホームページが…】 私の個人ホームページが順調にできあがりつつある。簡単に改装ができるようにしようと、トップの写真をホームページソフトで得たサーバーに直接リンクさせようとして奮闘するが、なかなかうまくいかない。
日記のエンピツのほうは簡単にできるのだが、こちらのサーバーは、購入したソフトを使わないと上手に扱うことができないようにできているらしい。
やはり簡単に作れて簡単にアップできるようにするために、かなり特異なやり方で行っているのと、ソフトあってのサーバーという関係から、ソフトと一体となった操作で特徴を出しているからに違いない。
ホームページづくりを主体的に担当してくれているKさんも「なかなか手強いですねえ」と感想。
素直にbiglobeで増設すればよいものを、わざわざ苦労することはなかろうに、との声も聞こえてきそうである。
もう少し頑張ってみよう。
【清掃センター跡地利用計画】 夜に、清掃センターのある千羽地区へ、使用期限延長のお願いをしに行く。
この千羽地区には昭和45年からゴミを焼却する清掃センターが作られているのだが、昭和59年に今の清掃工場を建設して以来、わが市民のゴミはずっとここで処理されてきたのである。
平成11年に建設以来15年が経過したが、その際に5年間の使用期限の延長を願い出て、今もここを使わせて頂いているのだが、その使用期限が平成16年3月で切れることになるのである。
この間わが市としても次なる清掃工場を受け入れてくれる地区を求めて検討と調整を重ねてきたのだが、やはり市政上最大の迷惑施設だけあってなかなか受け入れてくれる地区がなく、調整に手間取ってしまった。
現在はダイオキシン対策などその後に発生した環境課題をクリアしたゴミ処理工場の建設を満水地区が受け入れてくれて、造成工事が進んでいる。工場の建設は今年の9月以降であるが、平成17年3月には施設が完成し、約半年ほど試験運転を続けて、平成17年9月には完全引き渡しを受ける、という計画が進行中で、これは間違いなくクリアできる確実な予定である。
しかし、平成17年9月の新清掃工場完成と、現在の地区との協定期限である平成16年3月との間には一年半の乖離がある。そしてこの間だけは、なんとしても現在の工場を使わせて欲しい、というのが市役所側の切なる願いというわけである。
地元としても、うっすらとは「そういうことになるのか」という思いもあるようだが、まだ正式にその意向を表明したことはなかったので、今日市長と私、ならびに地元推薦の市会議員と共に訪れてその趣旨のお願いをするというのが最初と言うことになる。
今回の延長のお願いでは再々延長ということになり、市行政としては申し訳ない限りなのだが、過去については謝る以外にない。
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地元の公会堂には約30人ほどが集まっていただき、市長からはこれまでの経緯もふまえてお話をし、最後には再々延長を申し出る。地元の区長さんからは「もとより、今日この場で意志決定するような話ではないけれど、市からはそういうお話でした」とまとめて頂いた。
「なにか質問や意見はありませんか」という区長さんからの呼びかけには、「…このあたりの衆は大人しいのが多くて、文句をいうような衆はいないんだよな」とつぶやく長老に皆苦笑い。
お願いの段はこれにて終了。あとは後日地元にまた調整をお願いする限りである。よろしくお願いします。市民の皆さんも、これまで身の回りのゴミ問題を担って頂いたこの地区に対する感謝の気持ちを忘れてはならないと思うよ。
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市長が退席した後は、跡地利用計画をワークショップで進める会合がそのまま開かれた。
この清掃工場を解体撤去した跡地をどのようにするか、という計画を今から地元の皆さんの意見も交えて作り出そうというのである。
約30人の参加してくれた皆さんを四つの班に分けて、それぞれに畳の1/3くらいのボードに現在の工場とその周辺の図面が描かれたものを配り、その上に、各班の希望や夢、つくって欲しいものなどを発泡スチロールや串、紙などで形にしてもらうのである。
担当してくれているコンサルントはまちづくりの調整に実績のある清水市の会社で、安い委託料にもかかわらず、このためにわざわざ来てくれているのである。
面白かったのは、縮尺を合わせた丸い紙を何枚も用意していて、縮尺上で半径10m、20m、…50mまでのものがある。それぞれの裏には、「休憩所」とか「ゲートボール場」などといった、この面積ならばこういった施設ができますよ、という基準的な施設名が書かれていること。
これなら公園計画に慣れていない人でも、与えられた土地の大きさに対する施設のイメージがわきやすいというものである。
班によっては、噴水あり、アスレチックあり、小川の復活、池に蛍、釣り堀、桜、ケアハウス、グラウンドゴルフ場などなど夢と希望の施設が作られていた。
一方で一つの班だけは、「なにもいらない。何を作っても何かしらの害が出そうな気がする」として何も提案しない、という結論を出した。今後調整するコンサルタントとしてはやりづらい結論だが、これとても市民参加の結果の意見である。こういうことを自由に言える場があるということは、将来の地域作りにかなり良い結果を招くに違いない。
わが市には市と住民が検討をしながら特別計画協定区域を設置するという「まちづくり条例」があるのだが、この一番の良いところは、ほ場整備や道路整備など個別の事業を地域作りの中で語るのではなく、それらを包含した議論を地区の住民がこぞって語り、参加し、関心を持つと言う展にあるに違いない。
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会の最後には、各班からの計画案の説明があり、終始和気藹々とした会合であった。
最後に「公園の専門家」としてコメントを求められたが、参加された市民一人一人の意見が面白かったのと同時に、こういう地域の活動に参加させてもらったことのお礼を述べました。
今後コンサルタントがこれらの意見を集約した計画案を作成するのだが、これからは地区の委員と意見交換をし、最後にはもう一度皆さんの前で披露をする予定だという。
良い計画になるようお祈りしていますよ。
【もろもろ】
先日森の小国神社へ案内して、清水港からアメリカへ向かったはずの外人夫婦が、いわき市沖170kmでマストを破損して漂流中に巡視船に救助されたとか。 夫妻は巡視船に移って無事。塩釜港に入港したとのこと。なんでも、船齢が40年の船だったそうで、もう寿命だったのかも。沿岸近くでの事故でとりあえず救助されたので良かった。
札幌の家のパソコンがネットに繋がらない、と泣きの連絡が入る。どこかの断線かとも思ったが、私には確かめる術がない。「マニュアルを探して」と言ったが、「見つからない(--;)」との返事。それでは私もどうすることもできない。 週明けにサポートを頼まなきゃだめかも。
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