| 2003年06月22日(日) |
20030622_竹炭〜静寂と饒舌 |
【いよいよ竹炭との対面〜T先生の別荘】 三月にMさんとともに倉真の奧で仕込んだ竹炭をいよいよ取り出すことにした。あの日は仕込んだ後で火をつけたまではやったのだが、実はその翌日にMさんは一番大事な釜の口をふさぐ作業を一人でやってくれたのである。いよいよその成果が今日現れるのだ。
朝十時に農協の前で待ち合わせをする。聞けば、今日の炭出しには千葉から助っ人も駆けつけてくるという。誰かと思えば、一緒に仕事をしたコンサルタントのIさんだという。ひー、ご苦労様なことです。 十時に三人が無事集合していざ現地へ。天気は梅雨の中休みか、暑いくらいの日差しである。 ※ ※ ※ ※ 炭焼き釜は倉真の山奥にあるのだが、炭を出す前に、その場所を過ぎて近くのT先生の別荘のところで窓を開けたり室内の炭を外へ出して干したりする作業を行う。
この別荘は、東京在住の著名な文筆家であるT先生が気に入って、この地に求めたもので、まさに昔の日本家屋で、和風民家建築の味わいそのものは良いのだが、家の管理の大変さもそのまま引きずっている。湿気やカビ対策などは大変である
それでも室内には段ボールにして10箱以上の炭があちらこちらにおかれていて、このおかげで状態は以前よりかなり緩和されたのだという。 作業を終えるといよいよ炭出しである。レッツゴー!
※ ※ ※ ※
いよいよ炭釜である。釜の口はコンクリートの蓋が立てかけられて、その上から土がかけられていて、空気の入る余地が全くないくらいになっている。その土を払いのけて、コンクリートの蓋をどける。期待と不安の中、Mさんが中を覗いて「うーん、うまくいっていそうですよ」と一言。これは期待できそうである。
一応口を広げてからマスクをつけてMさんが中に入る。残された二人はそとから肥料袋を釜の口に置いて、そこに中から炭を乗せてもらいそれを運び出す作業となる。
最初のうちは燃える材料だけだが、次第に竹炭が出て来始める。形状は入れたときのままで70センチくらいの長さそのままの形の良い炭がそのまま出てくる。これはよくできている。音もキンという金属音で、見た目にも灰色の金属光沢がしている。
この作業を繰り返すこと一時間、いよいよ最大の目的である孟宗竹まるまる一本の竹炭が現れた。
「おお、いいですよ!」とMさんも釜の中から声を出す。出てきたのは、まさに一本そのままの竹炭である。これは良い。
出来が悪いと、縦に立てかけた竹の一番下が生焼けになって木質がまだ残ったり、逆に燃えすぎると丈夫が燃え尽きていたりするのだが、でてきたものはそのどちらでもない、均等に炭化して形状も竹の形が残っている。表面が少しふくれて割れたりしているが、これは御愛嬌というものである。唯一残念だったのは、根に近くて節間が詰まった面白い形状のものが、これだけは竹の質が悪かったのか形が崩れてしまったことである。
それでも今回は、全部で8本ほど良質なものができた。竹炭も全部で40キロ以上はできたろう。これがお店へ行けば、100グラム百円くらいで買えるだろうが、こういう関わりで作ったものにはまた違った愛着がわくものである。究極の大人の楽しみに数えられそうである。
もっとも、釜の中に入ったMさんと外で作業をしていた我々二人では、大変さが雲泥の差なのだが…。
【T先生の別荘にて】 炭出しがほぼ終わりそうな頃、T先生が車で送られて到着。こちらも作業を中断して、先生の家でお昼と休憩。昼食はMさんの奥さん手作りのおにぎり。これがまた旨い。米がいいんだなやっぱり。
このMさんは、やはり倉真にある棚田を借りて、ここで米も作っているのだが、「私が米を作っているところは、飢饉の時でもお殿様が人足に水を運ばせて米を作った、と言われているらしいですよ」とも。確かに旨いわ。
※ ※ ※ ※
T先生は、大新聞の朝のコラム記事を10年にわたって執筆された方で、この別荘にもその蔵書が所狭しと置かれている。いったい何冊本を読まれたのだろう。
T先生も交えて、四人でスローライフのこと、山の将来のこと、農業の未来のことなどをカビと蚊取り線香の混じった匂いのなかで語り合った。
そのうち、「ものを書く」ということに話題が移って、「実は私も奮闘記を毎日書き続けています」という話をして、「一日にお題を三つみつけて、最後にまとめるとまとまりやすい、というのを先生から教えていただきました」と私。
「先生、ところでコラムも十年くらい書き続けられると、同じ内容で書いてしまうなどという失敗はありませんか?」とおそるおそる尋ねてみる。すると
「それがね、あったんですよ」と先生。 「へえ、先生でもそんなことがあるんですか」
「それがね、私が経験したのはね、志賀直哉というのは面白い手紙を書く人でね。この人がある方からスダチをもらって、そのお礼の手紙というのが残っていましてね。いろいろ書きながら、『スダチは良いですね。ゆずをいただくより良かった、【ゆずよりスダチ(氏より育ち)】と云いますからね』なんていう、洒落を書いているんですよ」 「へえ」
「ところがね、それを書いて原稿を出してしまってから、『あれ、待てよ、これは過去にも書かなかったかな』と思い出して、調べてもらったんです。そうしたらやはり1〜2年前のコラムでそれを引用していたんですよ」 「そこまで調べるんですか」
「いやあ、がっくり来ましてねえ。書いてある内容は違いますけど、引用が同じでそれに気づかずに書いてしまってね…。それで、今までにもそんなことがあったのかと思って調べてみると、分かっただけで三回そういうのがあったんです」 「そんな…、三回くらい」 「いや、やはり同じことを読者に提供したのでは、新聞ではありませんよ、それじゃ旧聞だ。それで、私自身、このままこの仕事を続けるべきかどうかをまわりの人にも相談しました。『難しく考えるな』という人もいましたが、真剣に私のことを思ってくれる人ほど『引き際が大事だね』と言ってくれました。それで私はそのコラムから去る決心をしたんです」 「……」
「じゃあ、いつ辞めるか、というのでね私は『8月15日で辞める』と言ったんです。回りから『なんだその中途半端な日は』と言われましたけどね、私には『こんな形で去ることは私の敗戦だ。だから敗戦記念日に辞める』と言いましてね。実際、その日で辞めたわけですよ」 「ええ、そんな秘話があったんですか。存じませんでした」
T先生がこの有名コラムの執筆を辞められた背景にはこんな秘話があったのだとか。先生もこんな話をしたのは初めてだとおっしゃっていた。
山奥の静寂は返って人を饒舌にさせるものなのだろうか。
【パ、パソコンが…】 返ってきて家で、ホームページの更新やら奮闘記の執筆をしていたら、パソコンの調子がおかしい。フリーズして再起動させてみると、『不良セクタがあるのでスキャンディスクを実行してください…』などという表示がでるではないか。
ま、まずいー!このまま起動しなくなったらどうしよう、と心配したがなんとか再起動はしてくれた。慌ててメールの過去ログと画像データなどの必要なファイルを待避させておく。
過去に二度、ハードディスククラッシュの憂き目にあっている私なので、ここ数ヶ月の間、ハードディスクがカリカリ言い出すのをいやな予感に感じていたのである。
とりあえずドライブにスキャンディスクをかけておくが、内部に不良セクタが一部あることは分かっているので、これの被害が拡大しないうちに、HDDの交換をしなくてはなるまい。まずいなー。
山奥の静寂は人を饒舌にし、パソコンの静寂は人を無口にする。「…」<笑えるかっつの!
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