掛川奮闘記

2003年06月20日(金) 030620_まちづくりの道具〜友と会う

【本会議】
 今議会に上程された議案に対する付託先を確認する。委員会も無事に終了。

【午後は東京】
 午後は東京へ出張。まずは東京農大の蓑茂教授をお訪ねして、昨年度に委員長をお願いした「公園基本計画」委員会のお礼。

 四方山話をする中で、先生からは「これからは大道具の時代は終わって、小道具の時代になるのじゃないかな」という話。

 先生の意味する「大道具」とは、いろいろな大規模プロジェクトのことで、「大道具と主役の演じるまちづくり」から、「小道具と脇役が演じるまちづくり」になるのではないかとも。

 公共事業などで大仕掛けの事業を続けるようなまちづくりはもう早晩限界が見えてきて、公共事業から市民のNPO活動などのようなものが、まちの表情を形成して行くのではないか、というのである。

 面白い表現だが、まだ都市的インフラが完備していないところにとっては辛い話かも知れないね。まだ大がかりではないけれどやらなくてはならない事業は多い。

 それと平行して、市民がまちづくりに立ち上がってくれれば面白い日常が過ごせるようになると思うのだけれど。

 いま書いていて、「面白い日常」というのはこれからもまちづくりに良いキーワードかもしれないと思うのだけど、どうだろう。

【旧友】
 東京にいる中学校時代の友人Z君を呼び出して、飲みに誘う。

 彼の仕事はわが町の地域作りに関係するかも知れない職種で、それはそれで情報が欲しいのだが、そのことでメールをして多少のやりとりがあったので、会ってみたくなったのである。

 彼とは中学校時代の同級生で、共に同じ高校に入り彼は現役で、私は一年遅れて同じ大学に入ったのである。

 時々会うこともあって、前回は6年くらい前に北九州市で会った記憶がある。年を取ると、だんだん友達に会うのにも数年のスパンを要するようになるのかもしれない。それだけ知人が多くなったということの裏返しかも知れないが。

 待ち合わせは六本木で、ここは久しぶりなので、迷いながらもなんとか会えて飲み屋へ向かう。お互いの仕事のことや家族のことなどを話して、話題は音楽へ。

 Z君は子供の頃からギターを弾いていたのだが、その夢はいまでも続いていて、別にプロになるわけではないけれど、仲間と三人でセッションを組んでは、銀座方面のとあるクラブに出入りをしているという。

 別に専属と言うことではなくて、そこはミュージシャン仲間が集うところで、いわゆるカラオケの順番待ちのノリで、それぞれのバンドやプレイヤーがステージに上がって演奏をするのだそう。

 客の中にはプロなどもいて、それはそれで緊張するのだが、「最近はそこでの失敗や下手さをくよくよしなくなったよ」と笑う。

 プロの客仲間からは目からウロコが落ちるようなアドバイスをもらうこともあって、それが楽しいのだという。

 演奏の後では、一緒に演奏をする仲間ほど下手だろうがなんだろうが「よくやった!」と暖かくハートウォームに迎えてくれるが、自分では演奏をしないでCDなどを聞くような客ほど、「何いまの?」という態度だという。

 プレイヤーにならなければ、プレイヤーとしての苦労や悦びは分からないものである。

 音楽活動もまちづくりも、プレイヤーにならなければハートウォームにはならないんだな、きっと。

 
 最後には、「まだギターを弾いているのか?」とこちらに質問があったので、最近サイレントギターを買ってときどき弾いていると言った。

 「今度は泊まりがけで来て、そこへ一緒に行こうぜ。弾いて聴かせろよ」
 「ああ、きっと練習しておくよ」  


 友達ってのは良いものである。


【蕎麦の準備】
 明日午前中に出張蕎麦打ちがあるので、汁(つゆ)をつくる。蕎麦の場合は「つゆ」と言うが、「タレ」とは言わないのでご注意を。

 今回の汁の目玉はなんといっても、本物の御前崎の本枯れ節の塊を、かつを削り器で削って出汁を取ってみることである。

 この春に札幌へ帰ったときに、実家から送ってもらったのである。もっとも、実家だって元はと言えば祖父母のものを捨てられずに取ってあったものなので、随分古ものであるにちがいない。

 鰹削り器は、要は大工道具の鉋(かんな)をひっくり返して、木箱の上に載せてあるだけで、削った鰹節が箱の引き出しから取り出せる、というただそれだけのことである。

 初めて本枯れ節を削ってみたが、鰹の塊はそれは堅いもので、ラップを取るとカビに覆われている。このカビがまた風味を生み出すのだ。

 削る部分は鉋なので、コンコンと叩いて刃の出具合を調整して鰹節の厚みを調整するのだが、厚く削るのは至難の業であることが分かった。なにしろ堅いので、無理をして厚く削ろうとすれば刃こぼれを起こしそうで怖いのである。

 なんとか140〜150グラムを削り終えて、2.4リットルの水を沸騰させたところへ入れる。

 煮詰めると水の量はどんどん減るのだが、削り節の量は最終の水の量の7%と言われる。しかし、私の経験上ではやはり9%くらいないと、出汁の風味が薄めても後にツーと伸びる感じがしないので、私は9%くらいにすることが多い。

 それにしても、鰹節の削った表面は金属的な光が宿り、独特の輝きがあるものである。さてさて、どんな汁になりますか、明日のお楽しみである。


 夜になってから作業を始めたので、今日も寝るのは二時になってしまった(--;)ひー。


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こままさ