掛川奮闘記

2003年05月12日(月) 030512_血の池地獄のその後

【部課長会議】
 月曜日の朝は部課長会議、今日の市長の話題は、長良川の鵜飼いのお話。

 昨日の日曜日に、市長は岐阜市長のお招きを受けて、長良川の鵜飼い開きに参加して、岐阜市長、筑紫哲也さんとともに、鵜船に乗って鵜飼いの見物を楽しんだのだそうである
 
 長良川の鵜飼いは、歴史が古く律令時代から皇室の保護の下に漁が続けられ、徳川時代の大名保護までは続いたものの、明治期に一度その保護が失われた時代があったそう。

 そのときに時の岐阜県知事の要請により,宮内省は鵜匠に職員の身分を与えるとともに,長良川に3か所の御料場を設置し,引き続き,御料鵜飼として鵜飼漁が行われるようになったとのこと。

 従って、長良川で鵜飼いをしている鵜匠たちは式部職と言って身分は宮内庁の職員なのだそうで、しかしながら給料は岐阜県から出ているのだそう。

 なんとも複雑だが、歴史と伝統ある漁方は保護されるのが良いことである。岐阜県の英断に拍手をおくりたいものである。


【市長ヒアリング〜財政と消防】
 ヒアリングもそろそろ最後のほうに近づいてきた。今日は財政と消防の話題。

 消防で興味深かったのは、救急体制のお話。

 現在わが市には救急車が二台しかなくて、二隊しか組めないのだそう。そうなると二台がではらうこともあって、年間30回弱は二台が出払ったときに救急の要請があるそうで、「そんなときはどうするのですか」と訊けば、とりあえず通常の公用車でその家まで行って、応急措置をしておいて救急車が空いてこちらの現場へ来るのを待っているのだそうである。

 昨年の出動回数は年間2085件とか。このうちで、「救急車出動の要請のうち、たいしたことはないな、これなら呼ばなくても良いのではないか、と思う事案の比率はどれくらいですか」と訊いてみた。

 すると「そうですね、半分くらいは病院へ搬送しても軽傷と言うことで入院もせずに自宅に帰りますね。」とのこと。

 なんと市民は案外安易に救急車を呼んでいるようである。そのおかげで、肝腎の危険な患者が運べなくなったりすることを思うと、簡単に救急車にも頼れないのだと思った。

 もっとも、八万の市民に対して救急車が二台というのも近傍の市町村に比べると少ない感じ。うーむ、やることはたくさんあるなあ。


【血の池地獄〜その後】
 昨日に続いての池の水草除去。作業がどれくらい進んだか心配で、外での会議のついでに立ち寄ってみた。

 昨日と大きく異なるのは、道路側の舗装してあるところで大型のバックホウが二台で、池から水草をかき集めていることである。

 バケットからはすくうたびに水がじゃあじゃあと流れ落ちる。一体どんなバケットを使っているのかと見ると、なんと鉄筋で組まれた網のようなバケットで、鉄筋と鉄筋の間隔は30センチくらい空いているのだが、そこにもっと編み目の細かい格子状の板を当てて、水は落ちるが水草はすくえるように工夫がされているのである。なかなか考えたものである。

 これで岸の近くの水草は大いにすくえるのだが、遠くの沖からこの岸辺まで水草を寄せ集めるのには、相変わらず手こぎボート部隊が池の中でふらふらしている。

 岸では昨日と同じくらいの地元の方達が水草をかき集めて丘にあげる作業を黙々と行っているので、ボートの連中がやはり遊んでいるようにしか思えない。遊んでいるのではないとしても、指示が悪いために効率が悪く、作業が中断してしまうのだろう。

 夕方の4時過ぎに見に行ったが、2ヘクタールくらいある池のうち水面が見えているのはおよそ半分くらいである。とても今日中に終わることは考えられない。

 職場に戻って担当の課長に、「今日中に終わらなければどうするのかを確認しておいて下さいな」と指示したところ、「向こうも明日掛けてでも、水面が大体見えるところまではやる、と言っていますので、明日も見守りたいと思います」とのこと。

 やはり水草をかき集めるのにかなり苦労している。明日は本格的なボートを用意した方が良いように思うがねえ…。


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こままさ