2003年04月06日(日) |
030406_大須賀町〜三熊野神社祭はすごい |
【日坂籠かき駅伝】 日坂というのは東海道五十三次の25番目の宿場である。ここの集落の地域興しのために、この地区ではこの時期に「籠かき駅伝」というイベントを行っている。
これはチーム戦で、子供を乗せた籠を二人が担ぎ、全部で5つのポイントで選手交代をして順位を競う駅伝レースである。駅伝のたすきが籠というわけ。
消防団の入退団式のあとに市長とともにここを訪れたとkろ、「よく来てくれました」とばかりに、さっそく派手派手な殿様風はっぴを着せられて、壇上に市長共々上げられた。
イベントのメインが籠かき駅伝なのだが、その前にいろいろと賑やかしのイベントも数多く行われる。たとえば高齢から子供までの女衆を集めての踊りやら馬子歌などが披露されて、訪れた客の目を楽しませる。
壇上で見物していたら、背面のパネルの上に貼り付けてあったイベント名の書かれた紙が風で半分はがれてきた。これには「第12回日坂籠かき駅伝大会」と書かれていたのである。
半分ほどはがれてきたが、壇前の広場では踊りが繰り広げられているので、直すわけに行かず、スタッフが「剥がして剥がして!」と打ち合わせて、一人が垂れ下がった紙を剥がしたところ、半分だけ剥がれて下から「豊川まもるマジックショー」という紙が出てきて、正面から見た人には「第12回日坂まもるマジックショー」というタイトルに見えたに違いない。 大変ユニークなイベントになり、スタッフの苦労も顧みず、私は心の中で大爆笑してました。 籠かき駅伝には我が市役所からも2チームが参加して、2位と5位を獲得しました。ご苦労様でした。
【横須賀三熊野神社例大祭】 わが市と現在合併を協議中の大須賀町には、三熊野神社という大変古い神社がある。この神社は、文武天皇の皇后が熊野三社を深く信仰されていて、ご懐妊の際に安産を祈願してそれがかなって皇子(後の聖武天皇)が誕生したことからこの地に熊野神社を遷宮鎮座させたと伝えられている。 遷宮の時は大宝元(西暦701)年9月9日と伝えられているという1300年を超える歴史を持つ神社である。
子授かりの神社として知られていて、全国から訪ねてくる者も多いと言われている。
その大祭がこの週末に行われていて、今日は大須賀町出身の方に誘われて祭りの山車見物と大須賀町の伝統文化を楽しみに来たのである。
大須賀町は人口一万二千人ほどの町で、最近では増えも減りもしない状況が続いている。この町の最大のイベントがこの三熊野神社のお祭りで、全部で13の屋台が登場する。
この屋台(祢里(ねり)と言う)を各町内が引き回すのが町の人たちの最大の楽しみなのだそうである。
今日はこの祢里が引き回される通りに面した古くからの宿の二階に宴席を設けてもらい、そこから提灯の明かりに照らされたきれいな祢里を見物としゃれ込んだ。
一つの祢里は100人くらいの揃いの法被をまとった若者から年寄り子供までが引き回している。お囃子も笛と太鼓の軽快なリズムで、聞いている自分もいつの間にか体でリズムを取っている。
料理に舌鼓を打ち、お酒に酔いしれながら祢里が過ぎてゆくのを眺めているうちに、時間も結構すぎてしまい、それではそろそろ帰ろうと玄関まで出たところで、この町の助役さんやら議員さん達にばったり会って、「あれ、来てくれてたの?」「ええ、ちょっと誘われて祢里を楽しませてもらいました」と言ったところ、向こうも酒は入ってるわで勢いがついていて、「これから神社の境内で千秋楽をやるから是非とも見ていって!」と誘われた。
こんな機会も滅多にあるまいとそのお誘いを受けて、最後を進む祢里の後ろについて行って神社の境内まで歩いていった。
境内にはすでに先に進んでいた祢里が勢揃いして、後からくる祢里を待ちつつお囃子で最後の気勢を上げている。もはや最高潮と言った興奮状態。
やがて最後の祢里も整列を終えたところで、それまで賑やかだったお囃子が全て止まり、祭りの代表からの挨拶の後、シャンシャンシャン、シャシャシャンシャンの手締めで千秋楽の終了。
再びお囃子が始まり、各祢里がそれぞれの町内へ急ぎ帰ってゆく。時間はすでに10時を回っているのだが、祢里はこれからさらに各町内へ到着したところで三十分くらいゆらりゆらりと最後のネリ(ゆっくりゆらゆらと進むこと)を行って最後を惜しむのだそう。
我々はここで助役さんやら神社ともお別れをしたが、この祭りはなかなか見応えのある、伝統的な素晴らしいものでありました。
今回は春の例大祭であったが、秋には「小祢里(ちいねり)」という、一回り小さい祢里で中学生と小学生によるミニ祭りが開催されて、子供達に小さいうちから祭りのしきたり、喜びなどを植え付けることになっているのだそうである。
神社の境内には幼稚園生くらいの男の子が、祢里の上で踊るひょっとこの踊りを真似して扇子を手に一生懸命踊る姿が見られた。きっとあの子は将来祢里の上で踊ることを夢見ているのだろうな。
この地区に残る人たちにとっては祭りは故郷を感じるようにDNAに刷り込まれた者なんだろうなと思う。年を取っても、みんな同級生時代に帰るような風景があちこちで見られた。
全国あちこちを回る我が身に照らして、帰るべき故郷、それも土地ではなくて祭りのような心の故郷がないということを寂しく思いました。
この町の人たちは、就職などで全国に散っていても、この祭りの時だけはこの町に戻ってくるのだそうです。本来祭りってそういうものなんだよね、やっぱり。
家に着いたのは11時過ぎでしたが、楽しい祭りを見せてもらいました。この町の助役さん曰く「来年はあなたの分の法被を用意して参加してもらいますからね!」
祭りはやはり参加するものなんだなあ。
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