店主雑感
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2002年05月16日(木) 平和の中に見失ったもの

 人類の歴史はつい最近(一世代前)までの
大部分が戦争の歴史である。

 基本的には戦場で弾に当らない方法という
のはありえない。

 敵が機関銃を構えて待ち受ける陣地に向っ
て、いとも簡単に突撃命令は下る。

 どんないい奴でもあっけなく死ぬし、どん
な糞野郎でもしぶとく生き残ることもある。

 戦争を知っている世代というのは兵役経験
の有無にかぎらず、誰でもそのへんの不条理
はいやというほど承知している。にもかかわ
らずというか、だからこそというべきか、ど
うせ何をしても死ぬ時は死ぬのだから好き勝
手なことをしなきゃ損だという人間は今より
もずっと少ない。

 生まれた時から戦争の悲惨さと命の尊さを
教え込まれ、まちがっても徴兵をくらう心配
などない平和憲法と手厚い少年法の保護下に
育った少年犯罪者達。
 彼等の頭にあるのは、ひたすら己の権利だ
けである。

 これは戦争が人間に何を教えるかというこ
とではなくて、人間とはどういうふうに学習
するものであるかを戦争が端的に示している
ということである。

 紙切れ一枚で呼び出されて、即席の訓練を
受け、気がつけば最前線に身を置いている。
 上官は次々と命令を下し、新兵に一々気持
の準備ができているかとは聞いてくれない。
 飛び出した瞬間、死体になっているかもし
れないのに、人の命などその辺の石ころほど
にも思っていない気軽さで、突っ込めと命令
する。

 権利もへったくれもあったものではない。
 自分の命が石ころ以下に軽く扱われて、は
じめて、真に命の尊さを思い知るのである。

 そもそも、徴兵され、一月やそこら、娑婆
っ気を抜かれただけの召集兵が、何故それほ
どの脱落者も出さずに、死地に飛び込んでゆ
けるのか?

 それは、面前の敵に殺されるよりも、背後
の味方に殺される方が怖いからである。

 死そのものよりも敵前逃亡の汚名を着て死
ぬ事に本能的恐怖があるのである。

 殺されるというだけならば、どこをどう撃
たれるか分からぬ突撃より一瞬で片付く銃殺
の方がましともいえる。

 むずかしく考える必要はない。
 群れを作って、生きる、すべての生き物は、
仲間から相手にされなくなることを何より恐
れるようにできているのである。

 そうでなければ、戦争などできるわけがな
いし、どんな種類の社会も成り立ちはしない。

 どんなけちな小悪党にも、通さねばならぬ
仲間内の真義というものは存在する。

 それすらなくしてしまえば、もはやこの世
のどこにも、身の置き場がなくなることを知
っているからである。



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