店主雑感
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2002年05月15日(水) ありのままの現実

 子供の頃から今日に到るまで常に不思議で
ならないのは何故子供に向って本当のことを
言う大人がもっといないのか、ということで
ある。

 おそらくは子供の理解力を配慮し、現実を
ありのままにつたえるのをあえて避ける、と
いうことであろう。
 大人になればいやでも自然に現実は見えて
くるのだから、なにも子供のうちから無理矢
理直視させる必要はない、という考え方だ。

 ところが今やどうも、大人になってもあり
のままの現実を認めることができない人間ば
かりが育ってしまったように見える。

 何故なら近頃では自分のみすぼらしい人生
が気に入らないで、いっそのこと下りてしま
おう、と考える場合、怖くて痛そうな物理的
自殺はパスし、とんまな有識者が犯行の動機
をもっともらしく分析してくれそうな社会的
自殺を選ぶ人間がやたらに多いからである。

 何でもいいから、なるべくショッキングな
事件を引き起こして、いったん社会人として
の自殺を遂げてしまえば、もはや第二の人生
には勝者も敗者もありはしない。

 それどころか、しおらしく更正の道を歩む
うちには手記を書くチャンスだって廻ってく
るかもしれない、なんてオイシイ…。

 まして、少年法の手厚い保護下で世の中を
なめきっている子供達がこの手を使わぬわけ
がない。

 彼等の場合しおらしいそぶりをしてみせる
必要すらない。
 拘束期間は短いし、出所後も家族はビビリ
まくっているから、シキルのはむしろ事件前
より容易い。

 だいいち、これで自分のことを平凡で退屈
な人間だと思う奴は誰一人いないだろう、と
思えば誇らしくさえある。

 もちろん、引き起こす事件の衝撃度が大き
ければ大きいほど効果的であるのは言うまで
もない。

 ホモの芸術家はノーマルで平凡な会社員よ
り偉い、と子供達が錯覚する様な世の中を半
世紀がかりで作り上げてしまった大人達の罪
は取り返しがつかぬほど重い。

 おかげで額に汗して働く正直者が一番えら
い、という単純な一事をこれから数世紀をか
けてまた子供達に教えなくてはいけない。

 最近の半世紀をのぞけば何千年もの間そう
してきたのである。
 それでいて人類の歴史は天才芸術家や天才
科学者、あるいは時代に先駆ける変革者にす
こしも不足していない。

 歴史上傑出した人物は皆、普通人の何十倍
も重荷を背負って生きた人ばかりである。
 しようと思ってできることではない。
 できる人間であったがゆえに思わぬ困難な
人生を往くことになった人々である。

 坂本竜馬はたしかに型破りな人間であった
かもしれない。

 しかし、坂本竜馬が「人と同じことを考え
ていてはだめだ」という場合、それは単に人
と違うだけではなく必ずそれ以上でなければ
ならぬといっているのと同義なのである。

 困難な局面において、おのずと自然にわき
起こる考えが何故かいつも人と違っていて、
しかもそのことごとくが人より優れている、
という類い稀な人間が「人と同じでは…」と
言っているにすぎない。

 こういう類いの人間はたとえ本人が生涯凡
夫たるべく必死に努めていたとしてもついに
は才能がそれを許さず、主人を波瀾の人生へ
と押し出してしまうのである。

 自然にわき起こる考えがいつも人と同じで
しかない普通の人間が無理をして人と違うこ
とを考え、行おう、とすれば当然人並み以下
の奇言奇行にはしる他はない。

 そもそも自分が担えるだけのものを背負っ
て確かな足取りで生きることが先ずは人とし
て最低限の責任である。

 そのために手を貸すのが親の務めであり、
教師の果たすべき役割である。

 親や教師は自分ができもしないくせに、
「人の考えない事を考え、人のやらない事を
やらなければ成功しない」などとしゃらくさ
いことを言うまえに、先ずは「人の考える事
くらいはお前も考えられなくてはいけない。
又、人のやる事くらいはお前もできなくては
いけない」と言うべきなのである。

 そこから先は本人に能力があれば親や教師
などは軽々と超えていくからよけいな心配は
しなくていい。

 最低限の責任を果たすべく努力した結果、
どうしても人に及ばないのなら責めても仕方
ないが、問題は人並みの能力を持ちながら無
理に人並み以上を狙うばかりで人並みの責任
すら果たそうとしない愚か者である。

 「最低限の責任が果たせないようではお前
自身はともかく、こちらが非常に迷惑なのだ」
と正直に言うべきである。

 決して「お前のために…」的な嘘は言わぬ
こと。
 子供を叱る場合、はっきりと大人の利害か
ら叱っていることを伝えるべきで、子供本人
の都合とは一切関係がないことを正直に言う
方が分かりやすいに決まっている。

 「頭ごなしにいうことをきかせるだけでは
子供らしさがなくなってしまうのでは…」そ
んな馬鹿なことをいったら、中世封建時代に
は世界中のどこを探しても生き生きとした子
供らしい子供は育たなかったことになる。

 むろんそんなはずはないので、今よりよほ
ど礼儀正しくて、自主独立自尊の気概に溢れ
た人物がたくさん育っているのは言うまでも
ない。

 大人が子供の叱り方に妙な気を使いはじめ
たのは近代に入ってからのことだが、変に子
供らしさのない子供が増えはじめたのも、や
はり近代に入ってからのことである。

 電車の中や飲食店で行儀が悪く、騒がしい
子供を満足に抑えられない両親にかぎって、
「子供は好奇心のかたまりだから仕方がない。
無理におとなしくさせて、ものごとに対する
新鮮な興味を奪ってしまうのはどんなものか」
などと知ったふうな口をきく。

 たかがお出かけの間、我慢させたからとい
って、それで干上がるほど子供の好奇心の泉
は浅くない。
 浅いのは親の頭の方である。
 こういうのにかぎって、家では子供を怒鳴
っていたりするから笑える。

 子供は国の宝であるという。
 本当であろう。

 いずれ社会を動かすようになる今の子供達
をこのままゲームや携帯を売りつけるターゲ
ットとしてしか見ないなら、二十一世紀を老
人として生きなくてはならぬ世代はよほどの
覚悟が必要になるだろう。



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