店主雑感
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2002年05月14日(火) 多様性

 歴史に名を残すほどの人物には、とかく奇
矯な言動がつきものである。

 それはそれで一面の真実を現わしている、
ということもできよう。

 しかしそれを結果から逆に見て、人間は少
し奇矯なところがあるくらいでないと大事を
成すことは出来ぬ、などと勘違いする間抜け
が出てくるから迷惑する。

 おまけに凡庸な人間だと思われはしまいか、
とそればかり心配している愚劣な輩が個性や
独自性、といった言葉を無闇にありがたがっ
て、単なる奇行の主を稀代の傑物と勘違いし
たりするから益々厄介なことになる。

 しかし他人の行動や服装に関しては、たと
えそれがどれほど異様でも、うかつに厭な顔
をしたり、批難がましい態度をしようものな
ら、リベラリストと称して得意がっている連
中から猛烈な集中砲火を浴びせられるので、
ついつい良識人は沈黙し、不快な人間はいよ
いよ増える一方となる。

 極端なことを言えば、他人の身体財産を脅
かさない限り、何をしようが、どんな服装を
しようが、もちろん本人の勝手である。

 今日の日本やアメリカで、同性愛者が公民
権を制限されることはない。

 しかし法律下の扱いが性生活の形態に関わ
りなく公平であるのは、何も変態性欲者に対
する理解や好意が基礎になっているわけでは
ない。

 むしろ正反対で、性にかぎらず何事におい
ても、何が健全で何が不健全かは法律上のど
んな措置を構ずるまでもなく、国民みずから
が判断できるという前提が基礎になっている。

 時に、露骨な性描写や暴力描写があっても
表現の自由が保障されるのも、たとえ入信時
に全財産を寄付しろと説く宗教団体があって
も信教の自由が保証されるのも、やはり同じ
前提に拠っている。

 また、もし良識ある判断が下せない者がい
たとしてもそんな人間は少数で、しかも誰か
らも理解されず好意も持たれないので、社会
にとってはさしたる脅威にならぬであろう、
という楽観からである。

 繰り返し言うが、どんな様子をしようと、
どんな趣味嗜好を持とうと、完全に個人の自
由である。

 しかしそれは、どんな様子で、どんな趣味
嗜好の人間であっても、これを理解するよう
努めたり、認めるべきだ、という意味では決
してない。

 そもそも多様性というのは、創造主がその
被造物にあらかじめ与えた属性であり、人間
ごときが心配する性質のものではない。

 人間はただ各々の価値観に基づき、自分と
様子が違い、趣味嗜好や考え方を異にする、
他者とは慎重に距離を置けば良い。
 そうすることで、むしろ多様性が保たれる。

 頽廃や衰退を共にしない、ことこそが多様
性の真の意義である。

 自分と違う価値観の人間を攻撃する必要も
ないが、無理に理解しようと努める必要もな
い。

 「既成の価値観を共有していては、画一化
された人間ばかりになる」というのは現代人
が用意したじつに卑怯な言訳にすぎない。

 自分の非才を嘆く場合には、既成の価値観
しか認めようとしない、親や社会に画一化さ
れたせいだと言い、自分の愚行を正当化する
場合は、画一化されたくなかったからだと言
えば良い。
 何とも都合のよいことである。

 たしかに転換期の歴史を大きく旋回させる
には、既成の枠を踏み越えた大器の出現が必
要であるかもしれない。

 しかし心配しなくても、世界中どこのいつ
の時代でも、その変革期には必ずといってよ
いほど、人材は雲が湧くようにして、現れて
くるもので、なにも常日頃からユニークな人
材の育成に心掛けなくとも、人類が滅ぶ気づ
かいはない。
 反対に様子のおかしい隣人を怪しむこと、
奇言奇行の輩を相手にせず黙殺すること、こ
そが必要なのである。


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