文化祭の準備を手伝う口実で、OBである私とラザは暇なのをいいことによく部室へ顔を出していたと思う。こういうこともあって8月まで順調だった私の教習所通いが滞ったことを今発見した(笑)。こういう風に私は同時進行で行動を進めるのが苦手だ。自分の中で優先順位を決めればそれを理由に別のことには手をつけずにいたようだ。これは器用不器用の問題ではなくて多分に決定的なモチベーションの欠如からくるものだった。
幾度も重ねた夏であるが、90年のあの夏以外の記憶は私の中で長いこと記憶に留められずにいた。まあこれといって特別なことがあったわけでもないので仕方がないが、若さに伴う熱気が欠けていた。
卒業してすぐの91年の夏で憶えているのは杏さんや舞ちゃんらと連れ立って学校近くの河川敷で花火をやったことくらいか。この当時もなおラザはいっちゃんにアタック継続中(今の若いモンはこうは言わないか/笑)であり、その他の方面からも依然として彼女の断片的な消息が私の耳まで届くような状態だった。この花火のメンバーは私とラザ以外はいっちゃんと穏やかに接触しえる人間たちだった。それがどうしたということもないのだが、置かれた場所の違いで何故人間の関係がこうも入り組んでしまうのか、当時の私には自分の場所がとても窮屈だったように思う。それは努めて中立でいたかった私がある意思を持った瞬間からはじまったのだろう。特定の人間との離別はある片方がそれを決意すればまことに呆気なく成就するものだ。それが付き合う人間を選ぶことに繋がるのなら、私はひとりでもいいと思うようになっていった。結局のところ私は周さんやラザに人選を押し付けた形で自分は手を汚さない位置にいただけの事だと後に気付くことになる。彼らの人間関係の末席に加えてもらった私はとても幸運だったのだ。そんなものにも気付かないでひとり前を向けないでいる私自身の事を今とても悔いている。
その花火を見つめていて私が思い出したのはきっとそこから1年ほど前のまだ3年生だった頃のことだろう。 文化祭が終わって部室の喧騒も一段落が着いた頃にやってきたいっちゃんらとの蜜月については以前にも触れた。あの1ヶ月余りの穏やかな毎日の中に4人で花火をやったことがあった。すでに日の暮れた部室でいつものように語り合っていた我々が思い出したように、それまでの懸案であった「残っている線香花火の処理」をまさにこの時にやってしまおうと思いついたのだった。
静まり返った学校の裏庭で隠れるようにラザがロウソクに火をつけた。それを4人で囲んだ。おそらく部室前の廊下では風通しが良すぎて火が点かなかったのだろう。 線香の発するオレンジの灯火に染まったいっちゃんの笑顔はとても綺麗だっただろう。舞ちゃんの微笑みはまだ幼げで少女っぽさの残ったものだ。ラザはそんな我々を見おろすように穏やかにその燈に染まっていたに違いない。4人で行なったこの花火は私の中できっといつまでも素敵な記憶になるのだろうと思っていたかもしれない。実際は今の今まで忘れていたが(笑)。
91年の花火は全く対照的なものだった。この対がなければ思い出すことも叶わないような、私にとってはそこにいる自分ですら「過去形」のような気がしてならなかった。
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