あお日記

2002年10月31日(木) 退職直後


 退職直後の数日はとても忙しかった。まず入院前に行った大学病院へレントゲン写真を返しに行った。朝のラッシュを避けて午前も遅くなってから出発した。入院前の生活では考えられなかった電車内の静けさ。冷ややかな冷房の風と相まった穏やかな陽射しの差し込む車内はすでに夏のような服装の人々が黙して座り、自分もその中に溶け込んでいる風景であるはずなのに、なにか自分だけそこに居てはいけないような感覚に襲われるのだった。

 次に行ったのが卒業した高校。実は卒業後は専門学校への進学が決まっており、当面の入学金等も納めていた。気が変わって入学は取りやめて予備校通いを決めたので、ただでさえ親に金を使わせることを嫌って決めた進路だったから、その返還を求めたい訳だった。たまたま私の母校に専門学校協会の理事をやっている英語の教師がいたので彼の口利きで滞りなく上手くいったのだ。その礼も兼ねて顔を出さねばならなかったのだが、その直後に入院して間が開いてしまったのだった。
 その帰りに部室へ寄った。実は卒業後も何度か顔を出していたので久々にやってきた感慨などはなかった。見舞いに来てくれた舞ちゃんや住吉より心配してくれていたらしい(笑)ハマちゃんの大げさな喜びっぷりは相変わらずで、そのとっても変化のない、以前に経験した目の前の光景に嗚咽も出ないくらい完膚なきまで打ちのめされた感じだった。それを望もうと望むまいとに関わらず、やはりこの部室は私の中で変化なく存在して、その後もしばらく私を縛りつける場所だった。そこはとても落ち着く場所だった。いっちゃんが去ってもなお。それを認め始めたのがこの頃だったかもしれない。

 退院後も1週間ほどは安静状態を命じられた訳だが、そんなことは構いはしない。何より私ははやく自分の荷物を引き取って自宅の部屋へ戻したかった。何もない部屋のベッドに横たわっていると決まって思い出すのはロンのことだった。目の前にお気に入りの体温のない生活はとても苦痛だった。
 1週間と明けずに下宿先へ父と行って荷物を引き取った。その日も所長の態度は相変わらずで、父の手前である乾いた私への賛辞がやけにいまいましかったものだ。結局臨くんとはその日も会うことはなかった。それがしばらく心残りだった。

 そして落ち着く間もなく嶋さんへ手紙を書こうと思ったが、急ぐ気持ちとは裏腹に、筆は一向に進んでくれずにいた。



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