朝刊を配り終えた後、高校の頃から見慣れている列車に揺られていつものように自宅へ帰った。地元の診療所へ行ったがどうも判然としないので大学病院へ行くことになった。所長に連絡して月曜も休みを取り、B医大へ行く。よく晴れた早い夏を感じる暑い日だった。この頃になると特に夕刊は半袖シャツでも汗をかくくらいで、配達後はすぐに銭湯へ行ったものだ。
診断は「肺に穴が開いている」というものだった。特に若い細身の男子に多い症状らしく妙に納得した(笑)。症状としてはそれほどのものでもないが、主治医は「自宅で絶対安静」か「入院」を迫るもので、それは私自身に判断させる風ではなく、付き添いの母に対してのものだった。こういう所が未成年たる所以なのだが、自分で判断して動けないというのはとても情けない図である。
結局、地元の病院を紹介してもらい入院することになった。生活に必要な道具を、あの時の場合は勉強道具や嶋さんへ手紙を書く便箋やら筆記用具などだったが、それらを部屋へ取りに行く暇もないままその日のうちに入院手続きとなった。とりあえず手付金として十万円を事務室に納める母の姿を見ていて、言い様のない虚脱感に襲われるのだった。これ以上ない親の庇護。親の手を煩わすことなく独力でやっていくことの難しさを素直に受け入れることは出来なかった。図らずも自分の選んだ道は、己が力量を具現して余りある結果に終わった。
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