入院はその病院に1つしかない個室となった。病院側も年寄りばかりの大部屋に私を入れるのは忍びなかったらしいが、それをありがたく思ったのは入院して1週間もたった頃だったように思う。ベッドでただ呆けて横になっているだけで数日が経過していった。
持って帰宅した英語のテキストと辞書が当面の勉強道具だったが、ノートがなかったので母が来る日に持参してもらった。図らずも、高3の春で止まっていた日記の続きがそのノートに記されていくことになる。この頃から続いた本格的な無気力状態の中にあってこのノートは、私の中を垣間見る雄弁な語り口で今も手元に存在する。このエンピツ日記を書き終えたら焼こうと思う(笑)。
ノートにまず記されているのは退院後のごく近い予定とその後の学習計画だった。昔から計画を立てるのは好きだったが、こと学習に関してそれが成就したためしはなかった。けっこう飽きっぽいのである。それはともかくとして、色々な選択肢をただ宛てもなく書き留めてある紙面は当時の私の混乱ぶりをよく示している。心が身体に宿っていないような感じで、浮き足立っていた。
「大学へ行く」という漠然とした目標について考え直す日々が続いた。
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