あお日記

2002年10月10日(木) 進路


 色々と周囲に影響されやすい体質は今でも変わってないかもしれないが、この頃はそれを自覚せずに、感化されたそれは自分で煮詰めて考えついたものだと信じて疑わなかった。そのあたりがすでに自分の足元を見失っていた証拠だろう。そんな状況にいつまでも気づかなかったわけでもなく、私は私に影響を及ぼす人間との関係を断っていくことになる。


 結局私もタケダも専門学校への進学をやめて浪人することになった。で、前々から2人で相談して「新聞奨学制度」を利用して都内の予備校に通う事にした。お互いに家族への依存を否定していたわりにツメが甘いというか初志貫徹の能力が無いというか、タケダ自身がどう思っていたかは知らない。私は自分のそんなところがほとほとイヤになってしまうのだった。

 ともあれ、家を出て下宿しながら学校に通う、それは卒業前の私にとってはとても建設的で前向きで甘美な目標であった。そういった具体的状況を目の前に現出させたのは「はやく卒業したい」「早く家を出たい」そういった思いが私の中にあったからだ。

 部活動といっちゃんを同時に自分に取り込んだ私は、その一方が欠けたことで「結局高校に入ってからの状況に変化など無いのだ」という安易な結論を出して、そして一刻も早く自分のいる環境を変えたかった。その判断は誤りだったかもしれない。状況というのは自分に関係なく変化し続けるもので、私は自分に都合のよい状況にしか興味が無かっただけだ。社会に入ってからもそんなことを貫こうとすれば、かならず社会への反発が生れる。私にはそれが「社会からの逃避」といった形で現われた。社会的な成長が止まってしまった。


 自分に対する見積もりが甘すぎた私は、状況さえ変化させれば何とかなるような気がした。その辺の利害が一致した私とタケダはそれぞれの未来を描きながら3学期の残り少ない高校生活を過ごした。心持、この冬の寒さは厳しかった印象が今でもする。

 2人で申し込んだのは某大手新聞社の奨学生制度でした。利用した制度は同じでしたが、さすがに「友達と同じ販売店希望」という欄に印をつける気など起こらなかった。「ばかな欄だな」と2人で話したのも昔の話だ。



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