部員たちのその後の落胆は非常に大きかった。またそれに触れるのが不文律になったような感じで、私の中の迷宮感が小さくなることはなかった。同時にちょうど1年前に味わっていたような無気力が戻ってきてしまった。思えばいっちゃんと楽しく過ごした夏の日々は指を折って数えられるくらい短く、そんなつかの間の歓喜に強く依存してしまったそもそもの原因は、高校入学時に私自身が新しい環境になじもうとしなかったためだ。もちろんそれだけではないが。
この頃になって私はようやく新入生のほうに目が向くようになった。いっちゃんが消えても私はそれまで通り放課後を部室で過ごす日々で、そこには文化祭以前は存在の薄かった新入生たちの姿があった。住吉とハマちゃんの話は以前にしましたが、他に残った部員は2人で、いっちゃんの後任として部長を任されることになる物腰のおっとりタイプな『電ちゃん』と言葉尻がいちいちトゲのある『明』の4人。この頃はまだ結束の薄い4人だったが、その後は次第に意気投合したらしい。
ラザは1年生とはあまり馴染もうとせず、次第に部室から遠のいていく。入れ替わるように姿を見せるようになったのがタケダで、こっちのほうはもちろんハマちゃん狙いだった。これに同じクラスで部外者のミルと電ちゃん、ハマちゃんの4人と放課後を過ごすようになった。
私はそこに存在していても、周囲にはほとんど関心が向かなかった。この頃からハマちゃんは次第に「お兄ちゃん」呼ばわりするのが私に絞られてきて(笑)、彼女の示す親密さの具合がイヤでも周囲の目に付くようになった。正直タケダにはそれが目障りだったはずだが、彼は私が無害で奥手だということを十分理解していたし、私がハマちゃんに興味がないことも知っていたので彼との衝突は訪れなかった。いや、正確に言えば、「興味がなかった」のではなくて、「いっちゃんしか目に入らなかった」だけで、ハマちゃん自身はいっちゃんに負けず劣らずの美人で、私の知る限りの彼女はとても素敵な女性になっていったのだ。
そんなことはどうでもよかった。いっちゃんの消えた環境は私を虚無にさせるだけだった。そんな時にラザからひとつ忠告を受けた。ハマちゃんが私に対して過剰に見せる好意について。
「イヤならバシっといったほうがいい」その語気は彼にしては珍しく強かったのだが、私は思ってもいない言葉で彼を納得させてその場を収めたのだった。思えば私の八方美人な傾向はこの頃が起源なのかもしれない。
「そう、どうでもいいのだ。そんなことは」
この言葉で片付ける日々がこの先どれくらい続いたのだろう。それでどれだけのものを失っていったのだろう。どれだけの人間を傷つけたのだろう。
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